ちょうどアムステルダムに行く準備をしている晩。
アムステルダムのナイトメイヤーのミリク・ミランに、日本の現状のブリーフィングを英語メールでせっせと作成し、送ったら気づけば夜。

出発の日の朝は早いので少しでも寝ておこうと思って寝る前にTWITTERを見ていたら・・・英語のサイトでプリンス死去のニュースが出ていた。
そんなワケはないだろう、最近はまた異様に元気でファンキーでロックで最高なアルバムを立て続けに出してるし、老いなんてものとも完全に無縁に思えたからだ。

朝起きてまたTWITTERを開くと・・・本当だった。
プリンスが死んでしまったのだ。

成田に9時に着かないといけないのでいそいで準備しなければいけない。
でも、とにかく。iPhoneにプリンスを入れるんだ。
ちょうどアムステルダムでの動画やら写真の撮影に備えて64㎇に変えていた。
だからぱーっと見つかるプリンスの音源、これブートも含めてかなり持ってるとは思うんだけど。iPhoneにぶち込んだ。

スーツケースとバッグを背負って、聴きながら渋谷駅に着いたころに。
I Would Die 4 Uがかかって。
たまらない気持ちになった・・・

朝、Zeebraさんと合流してプリンス逝去の報を伝えたらZeebraさんもびっくりしていた。
Zeebraにとって、もしかしたら世界でもっとも好きなアーティストはプリンスかもしれない、とその時言っていた。Sometimes It Snows In April。

僕の記憶では・・・アルバム、ラヴ・シンボルの先行シングル"My Name Is Prince"が初体験だったと思う。いや、自分で買おうと思ったのがこのタイミングだったかな?
映画BATMANのBATDANCEのビデオも凄い好きだったのを思い出した。映画ももちろん好きだったけど、あれをプリンスの作品としては最初は意識していなかった。
"My Name Is Prince"は、いわゆるラップ曲で・・・この時期、同アルバム収録の"Sexy M.F."もラップ的なアプローチだ。これも好きな曲なんだけど・・・
前にも書いた気がするけど。プリンスは完全無欠の天才で最高のアーティストなんだけど。
自身がオリジナルであり過ぎるがゆえに?かどうかは分からないけど。
ヒップホップとハウスだけは上手く租借出来なかったと思う。
まあ、ある意味「変」になってしまうのだ。
"My Name Is Prince"もだから「変」な曲だが・・・野太い声でシャウトするプリンスはやはりセクシーでファンキーでウィアードでビザーでロックではあった。
14歳の僕をがつんと引き込むには十分なほど。
そして、いつ聴いてもやはり変な曲ではある。

その時点ですでに多作で、どれから聴くのか?も難しかったし、リアルタイムでアルバムComeが出たときも発売日に買うんだけど、暗くてびっくりしたり。
御蔵入りしたという背景だけで燃えて、ノイズだらけのブートを買ってしまったブラック・アルバムが正式発売された日は・・・池袋のHMV、当時ここには店内ラジオがあって、リクエストした曲をかけてくれたんだけど、友人の山田と斎藤と行って。アルバムを買ってるにも関わらず、すぐに聴きた過ぎてアルバム全曲リクエストしてずっと店内で聴いてから急いで帰って家でも聴いた。

どれか1曲、とかは上げられないし、現在進行形のミュージシャンで新作がまた物凄かったり、というかここ3作は本当おいおいどうした殿下!ってくらいのハイテンション。

"Raspberry Beret"と"Pop Life"とか"Kiss"とか"When Doves Cry"とか"Head"・・・やはりキリがない。アルバムGoldもヒップホップにどハマりして他のものを全然聴かない時期だったけど聴きまくったし・・・The Rainbow Childrenは、例えばネオ・ソウルというムーヴメントがあったとして、殿下がその気になれば最高傑作を余裕で作れることをフフンと鼻を鳴らし、一発ギターをかき鳴らす代わりに優しくカッティングしたような一枚だった。

でも。
プリンスで思い出す話がひとつあるので、それを書くと。
 
 中学の頃、ロック少年だった僕はロック文脈からソウル、ファンクの世界に少しづつ歩み寄っていった。
 最初はStevie WonderのTalking Bookで、これはJeff Beck繋がりで買った。一発で気に入り、3部作を揃えてクラスで聴いてたら,森山という同級生がへ~こういうの聴くの?なんて話になり、じゃあこれも好きじゃない?と言ってOmarの1stを貸してくれた。
クラスにはロックを話せる友人が数人、斉藤やマナベってヤツがいて。森山とはブラックミュージックの話で仲良くなった。
 二人の共通の好みはPrinceだった。お互いCDを持ち寄ってはこの曲はあーだこーだと語り合ったものだ。
 
 英会話の授業を森山と並んで受けてて。
アメリカ人の先生がこの単語の意味わかる人いるか?と質問した。

Controversy

 僕の英語は10歳児レベルなので、こういう単語は知らなかったのだが、これは知ってた!森山と2人でにんまりとして、これはアレだよな!と確認。せーの、で二人で・・・・

戦慄です!

と答えたら・・・間違ってた。
え?だってControversyって言ったら、戦慄の貴公子でしょ?なんで?

邦題の罪は重い・・・

 森山とはその後、Bobby BrownのBobbyを聴いて興奮したり、Jamiroquaiの1stで盛り上がったりした。
 Omarの2ndが出た時、森山が持って来て、CDを開けてみろよ!と渡されて、変形ジャケでなかなか開け方が分からなかったのも覚えてる。

 しばらく後に出たPrinceのEmancipation。僕が買って森山に貸したら、ううん、こういうノリじゃないんだよな、俺のPrinceは・・・と言ってて。実は僕もそれは同意で、あのアルバムはそれほど聴きこまなかった。でも、二人ともBetcha Golly Wow!のカバーは好きだったけど。僕はOne Of Usも実は好きだった・・・そしてこないだ聴き直してたら3枚組で大変だけど、結構良かったりした。

 森山とは10代を最後に話していない。
あいつはPrinceの訃報をどう思っているだろうか?


プリンスばっか聴き直してるうちにモーリス・デイまでたどり着いてるのは僕だけではないはずだ。
プリンスの幼馴染だがこれまたエライ伊達男で・・・最高。
ザ・タイムのパンデモニアムというアルバムはリアルタイムで買ってて、これまた変なファンクがたくさん入ってる。

ミネアポリス。
プリンス、そしてそこから派生してジャム&ルイス。
ファンクの地図の特別区だ。
レニー・クラビッツが"Rock'n'Rolls Dead\"を出したとき、プリンスはシングル"Gold"のB面で"Rock'n'Roll Is Alive(And it Lives In Minneapolis)"を歌った。
実に痛快。

殿下の話は尽きない。
アムステルダムでもみんなそうだった。
プリンスがライブしたクラブ、Paradisoにも行った。
マダム・タッソーの蝋人形館にも彼はいた。
今後も彼の曲を聴くたびに新しい発見があり、そして彼の話は続く。

英語ではただのPlayだが。
日本語では「再生」だ。

レコードをCDをテープをデータを。
再生すれば。
目の前で、耳の中で、頭の中で、身体の中で。
生き続ける。

I Only Want To See You Laughing In The Purple Rain