ブッダやシャカの12インチ、学校さぼって並んだアノ日がはじまりさ

UBGがゲリラ・ライブ、BOSSがさばいてたCHEEBACHEEBA・・・


CISCO坂の俺のヴァースのラインだ。

この場合のゲリラライブとは、突如CISCO坂にて行われたTOP RANKARZのINNER CITY BLUESのPV撮影を指す。あっというまに始まり、人だかりが溢れ、あっという間に撤収した記憶がある。

CISCO坂伝説の一つだ。


昨日、ZEEBRAさんやINOVADERさんがtwitterで発表した。


UBGが解散を決定したらしい。


これは、実際の記憶として刻まれているのだが。

朝、渋谷ファミリーから帰るとき。いまのTSUTAYAがある辺りで信号待ちを仲間としていたときの会話だ。


「今度さ、AKEEMがUBG入りするらしいよ。TOP RANKERSかもって」

「ンマジで!うまいもんな~AKEEM」

「絶対くるっしょ。ってかアーバリアンのスパーリング、マジでハンパないフリースタイルの応酬だって」

「次、誰が入るんだろ?気になりすぎるんだけど」


これは。

俺と、あと良くクラブに行ってたヤツラのリアルな会話である。

まさに、渋谷のストリートニュースだった。集まったB BOYたちがいつも話題にしていた。


依然として、ジブさんは話題の中心だ。そして、クルーであるUBGも常に存在感は示していた。

AKTIONさんが入ってきた辺りで華も抜群になってた。

ケムとかOJは小箱でひたすらフリースタイルしてたときかr知ってるし、DIORI君は活動初期にかなり世話になった人だ。MPCの使い方を最初に指南してくれたのもダイ君だ。

スパーリングにも誘われたけど、タイミングが合わず参加出来ませんでした。

TAKE-Cさんにはマイカデリックのミックスも何曲もお願いしている。

INOVADORさんは大好きなビートメイカーだし、KEN-BOさんは最高のDJだ。UZIさんは人柄も含めて豪傑だ。チノは最近のバトルでも良く名勝負を見せてくれてた。

俺の名前が始めてメディアに登場したのはTAK THE RHYMEHEADさんがREMIXでやってた連載、「共鳴」だ。AKEEM君やSTは六本木NUTSで一緒に「mail」というパーティーをやってた。

apoさんにも良くしてもらってるし、ヨッシーもナイスなヤツだ。

とにかく、いろいろな方面でお世話になってきたんだ。こんな俺でも・・・


去年のB BOY PARKでは3on3、一回戦で対戦もしている。


東京の、いや日本のヒップホップ・シーンにおいて、一つの大きな存在だった。


修羅場もくぐってきただろうし、歩んできた道のりを部外者が想像するにはあまりある。

そして、そんな百戦錬磨のクルーが下した決断。考え抜いて、議論して決めたことだろう。


あくまで個々の活動をレベルアップさせていくための前向きな解散だとも言っていた。


UBG AIN’T NUTHIN TA FUCK WIT!!


長い間、お疲れ様でした。

そして、今後ともそれぞれのアーティストのみなさんにはお世話になると思います。

ヨロシクお願いします。


さて、今日は寒い。

身体を温める意味もふくめて、これからバンド(名前はまだない)の練習をスタジオで。

汗かいてくる。


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