みなさまご存知、映画会社の東宝が「東京宝塚」の略称であることは周知の事実。こと宝塚歌劇ファンは日比谷の東京宝塚劇場を、まんま「東宝」と申します。
えー、阪急グループにはざっくり3つグループがあって(グループには3つグループ・笑)、
1、電鉄系
阪急電車を転がしている人々。例の宝塚歌劇団はもとより、むかしは阪急ブレーブスもこの一味。
なので駅で切符を切っていた人が、歌劇団の運営幹部に転属することも。
※ 芝居なぞ全く知らない奴が・・・と云ふのは生徒(劇団員)にとっては如何なものか、だったり。
2、百貨店系
阪急百貨店のグループですね。不肖ワタクシも、かつて所属しておりました。
3、東宝系
映画会社。現在は不動産事業等に多角化。
他にも第一ホテルグループなどが阪急だし、今は阪神と経営統合してややこしくなったけどオリジナルの阪急グループはこんな感じ。
創設者の逸翁 ー 小林一三への送り名 ー が大正期、最初に作ったのが電鉄。阪急電車の乗降客を増やすため、その沿線を世界初、宅地開発したのは有名。小さな温泉場だった宝塚に、温泉の余興として女性だけの劇団(宝塚歌劇団)を作ったのも、同じく電車の乗降客を増やす目的。
こんなところから始まった阪急グループだが、あら不思議。歌劇やってるとシステム的に、興行シフトしちゃったりする。
じゃ、首都東京になんかやりますか。これで「東京の宝塚=東宝」が出来た。
同じエンタメでも歌劇団が電鉄系なのに対し、東宝は然して別メニュー。(今でこそ『東宝ミュージカル』という舞台やってっけど当時は)同じものやっても仕方がないのでね。
やっぱ映画じゃね? 映画。
それで昭和の初期にPCL(Photo Chemical Laboratory 。写真科学研究所)を逸翁が買った。PCLって富士フィルムかどっか、フィルム会社の研究所だったんじゃないかしら。
日本初のトーキーもPCL。
つらつらと、こんな歴史を書くにつけ、映画の東宝にミュージカル作品多いのも宜なるかな。宝塚歌劇団とは従姉妹/従兄弟みたいなものですからね。
こと1960年代の東宝映画にはミュージカル作品が多い。
◆佐伯幸三監督『夢で逢いましょ』(1962)より
ザ・ピーナッツの名演。〝踊る指揮者〝スマイリー小原(特攻隊の生き残り。←本当)込みで素晴らしい。
1曲目の『ふりむかないで』は広い意味でのR&Bだし、2曲目の『イエスサリー』はThis Is ロックンロールで御座います。
しかし本作の主演は、実は中尾ミエという。。。
みなさまお待たせクレージー。植木等のアレ。
◆『ニッポン無責任野郎時』(古澤憲吾監督、1962年)
クレージーキャッツ映画の第2作目で御座います。
いずれも・・・な、ミュージカルだろ? 1962は俺が生まれた年だしね✌️
いっぽうで黒澤明『椿三十郎』を撮り、他方でこんなものを演る。ゴジラやモスラを含む、これぞ東京宝塚の奥深さ。
時代劇にせよ現代劇にせよ、しかし東宝のカラーは
「都市の良き市民に良質なコンテンツ ー この言葉、大嫌い ー をお届けする事」
悪くいうと、田舎者は相手にしない。都市のプチ・ブルジョワがターゲット。
狙う顧客はあくまで〝良き市民〝だから、東映みたくヤクザ任侠モノには手を出さない。
歌劇だって、詰まるところはそうでしょう?
だから東宝、ダメなんだよ(笑)
とまれ東宝ミュージカル映画を観ると、懐かしさに包まれる。高度成長期のニッポンそれは、自分が子どもだった頃。。。
映画すなわち「風景」に他ならない。
※ ちょっと違うが時代劇を作れなくなったのは、予算もちろん着物を着ての所作であるとか刀を差しての歩き方、これを今の役者が出来ないに留まらない。どんな山奥行ったって、ガードレールも電柱もあるし、道路は常に舗装されている、今の日本の状況が大きいのだ。
時代の色や匂い込みで「風景」を撮れない。
東宝ミュージカル映画と同じ匂いを感じるは、例えばエルヴィス60年代の映画。
◆『ガール! ガール! ガール』より
おお、これも62年じゃないですか♪
ちょいと遡って1960年。『GIブルース』から〝ポケットいっぱいの虹〝。
最後は定番。いつものアレ。
◆『恋のKOパンチ』より、チャールズ・ブロンソンみたいな人が冒頭出てくるエンハンス版で
てか、チャールズ・ブロンソン本人か。う〜ん、マンダム。
これもまたもや1962年の作品という。
まことに失礼いたしました。。。