「それはある夕暮れ時に起きた ー ラミレス=ホフマンは黄昏が好きだった ー。そのとき僕たちは、コンセプシオン郊外のタルカウアノに近いラ・ペーニャ留置所にいて、その急ごしらえの刑務所の中庭で、退屈をまぎらすために、他の囚人たちと一緒にチェスをやっていた。
少し前まですっかり晴れ渡っていた空に、西から東に向かって雲の細長い筋が見え始めた。針か煙草のような雲は、初めは白黒だったのがやがてピンク色に染まり、最後は輝く朱色に変わった。雲を眺めていた囚人は僕だけだったと思う。それからゆっくりと、雲の間から飛行機が姿を現した。
古い飛行機だ。最初は蚊ほどの大きさの染みだった。音はしなかった。海のほうからやってきて、少しずつコンセプシオンに近づいてきた。(中略)
僕たちの頭上を通過したとき、壊れた洗濯機のような音を立てていた。それから機首を上げてふたたび上昇すると、もうコンセプシオン中心部の上空を飛んでいた。
そこで、その高度で、空に詩を書き始めた。黒ずんだ灰色の煙がピンクがかった青い空に描く文字は、それを眺める者の目を凍りつかせた。
「炎から学べ」
「死とは責任、死は浄化」「死こそ愛、死は成長」
「死とは思想共同体」
囚人のひとりで、ノルベルトという名の発狂しかかっていた男が、僕たちの中庭と女囚たちの中庭を隔てる塀によじ登ると叫びだした。あれはメッサーシュミットだ、ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミットだ!
狂人ノルベルトは塀にしがみついたまま笑い声を上げ、第二次世界大戦が地球に戻ってきたと叫んだ。俺たちの出番だ、チリ人が戦いを受け入れる時が、歓迎する時が来たと彼は言った」
ー ロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』より、カルロス・ラミレス=ホフマンの章
チリの作家、ロベルト・ボラーニョのこれは偽史である。親ナチスの架空の人物・架空の詩人を描いた連作集で、彼らの詩作を上梓した出版社の一覧まで巻末に備えた念の入れよう。
いわば「事典」なのだが、これが不思議と心惹かれる。
周知のとおり、ナチスと南米には親和性がある。ルドルフ・ヘスをはじめ、ニュールンベルク裁判で絞首刑と決まった者が南米に逃亡したのは枚挙に暇ない。そしてアルベルト・フジモリ等々強権政治もまた南米の十八番(おはこ)ではある。
ただ、かくなる事実を別にしても、こと海外の「右翼」は趣深い。
日本の右翼は街宣車で我が物顔に怒鳴り声、ネット右翼は知性の欠片も無い。これが西へ西へと進むにつれ、例えば欧州ならニーチェ由来のハイデッガー、そして全体主義を肯定し第三帝国の理論的支柱となったカール・シュミットなど、「哲学」が入ってくる。
※ 日本でも、昭和17年に文學界グループ(小林秀雄・中村光夫・河上徹太郎)、京都学派(西谷啓治ほか)、日本浪漫派(亀井勝一郎)、カトリック神学者(吉満義彦)らが集結し、大東亜戦争の思想的根拠を築かむとした試み『近代の超克』はあったが、見事に失敗している。
欧州離れてもっと西、南米に至ると一転、これが「詩」と化す。奇しくもボラーニョがえぐったのは、いわば右翼の詩的本質である。つまりボラーニョは架空の右翼を描くことで「詩」を訴求したのだが、同時にそれが、右翼の(本来的な)性質を描写してしまったのだ。
ではその本質とは何か。ロマンである。
美への憧憬、詩への憧憬。究極的には死の昇華。人間が本来的に持っているその性質は、然していとも容易く戦争賛美に転化する。
「戦争は神だ」
(コーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』における〝判事〝の言)
橋上文三が、我が日本浪漫派をその著書(日本浪漫派批判序説)で批判したのも、まさしくこの一点に尽きる。
しかしそれでも夕暮れ時は美しい。こと、メッサーシュミットが青から朱に染まりゆく夕焼け空に、詩を書くならば尚のこと。
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音はボズ。
◆Lowdown
生きなければならない。ホフマンの詩を言葉を、夕暮れ時に見るために。
りゅうちぇるも、俺も。
◆JOJO