「人生を喜びか悲しみかで二分するところに平安はない。誰しも思い出にとどめておきたい事と人たち、忘れてしまいたい事や忘れてしまいたい人がある。しかし捨て去るところに愛はない」
(母教会のA牧師。本日の説教より)
「誰かとともに生きようと、愛し仕えようとするにはヒューマニズムだけでは無理だ。ヒューマニズムとは、つまるところ人間中心主義の謂だからだ。
我々は目に見えるものの中で生きているが、愛し、仕えるためには目に見えないものが根底になければならない」
(マザー・テレサ)
◆Cry for Love
「旅人はおれが夢で見る前はどこにいたんだ?」
「知らないね」
「おれの考えはこうだ。繰り返しになるが、彼の歴史はあんたやおれの歴史と同じだ。あの旅人は歴史でできているんだ。ほかに考えられるかい? もしおれが神が人間を創ったようにあの男を創ったんだとしたらあの男の喋ろうとすることが喋る前からわかるはずだろう? 動く前に次の動作がわかるはずだろう?
でも夢のなかで次に起こることはわからない。われわれは驚く」
ー コーマック・マッカーシー『平原の町』
◆Livin' on The Edge of The Night
◆Shades
「わかったよ」
「それじゃ夢はどこからくる?」
「知らないな」
「二つの世界がここで触れ合うんだ。人間には何でも望むものを喚び起こす力があると思うか? 目覚めているときであれ眠っているときであれひとつの世界を喚び起こす力があると思うか? その世界を息づかせそこへ鏡に映ったり太陽に照らし出されたりする形象を置くことができるか? 自分の喜びや絶望でそれらの形象を動かすことができるか?
人間はそんなふうに自分自身から隠れることができるのか? できるとして誰が隠れるのか? 誰から隠れるのか?
人間が心に喚び起こせるのは神が創った世界でありその世界だけだ。人がしごく大事にする人生ってやつも、どう理屈をつけようと自分で創り出すものじゃない。その形は原初の空無のなかで否応なく押しつけられたのであってそれ以外の形もあったかもしれないという議論はすべて無意味だ。
なぜならそれ以外の形など存在しないからだ。それ以外の形なるものはどういう素材で作られ得るというのか? どこに隠れ得るというのか? 現にあるものは百パーセントの確率でそのような形になった。あらかじめこの形になるとわれわれに予測できなくてもその確実さは変わらない。
人は現実とは違う物語をいろいろ想像できるかもしれないがそんなことはまったく無意味なんだ」
(同)
◆Isolation
「人間が死ぬのはいつでも他人の代わりに死ぬ。そして死は誰にもおとずれるものだから死への恐怖が減るのは自分の代わりに死んでくれた人を愛するときだけだ。我々はその人の歴史が書かれるのを待っているわけじゃない。その人はずっと前にここを通り過ぎていった」
「その人はすべての人間であり、我々の代わりに裁きにかけられたが、我々の時がきたら我々はその人のために立たなければならない。
あんたはあの人を愛しているか? あんたはあの人がとった道に敬意を覚えるか? あんたはあの人の物語に耳を傾ける気があるか?」
(同)
◆イギー・ポップ ー Beside You