過日、こんな日記を書きました。↓
ブロ友さんの記事に触発されて、ブロ友さんを釣ったらおお釣れた♪(失礼)
めっさ長いコメントをいただきました。ありがとう、ありがとう。
あれから半月。ようよう当該コメントにレスしました。遅くなってすみません。
氏は映画がメイン。いっぽう俺は音楽と聖書と昔話をもっぱらに。ジャンルは重なったり重ならなかったりするが、アートを好む人ならば、相通ずるのは確かである。
映画はハリウッドでもインディーズ でも・・・そういえばゴダール、昨秋死んだんだって?
◆ゴダールといえば、やっぱこれでしょう。『勝手にしやがれ』(1960)
でもワタクシが好きなのは、むしろこちら。
◆気狂いピエロ(1965)
◆ゴダール+ストーンズ は、映画『ワン・プラス・ワン』(1968)。
我が国の大島渚あたりが影響を受けたヌーヴェルバーグ。しかし日本のそれは概ね暗く、ゴダールのは、実際めっさ明るいのであった🤭
フランス人はエスプリを効かせる。エスプリとは皮肉めいててクスッと笑えるもので、ロンドン子のガチ皮肉とはまた違う。
※ロンドン子と京都人が似ていると思うのは、果たして俺だけだろうか。
エスプリは然して相手に笑える余地を残すのだが、大島渚はここを勘違いしたのかも知れない。つまり皮肉の面だけフィーチャーし、政治だの何だのと、暗い面ばかり。
だって大島渚にクスッと笑える作品あるか?
こんな感想述べ得るのも、彼女同様アートを愛するからこそであります。
「耽美的」の件。谷崎・・・沼正三『家畜人ヤプー』はただの変態だが、ゴダールと同じフランスならばボードレールもランボーも。いっちゃってるけど美しいのが「耽美的」。
耽美とは読んで字のごとく、「美に耽る」といふ事であります。我が日本浪漫派@自称なら、中国アジアを侵略しようと神風特攻隊が散華しようと、そこに「詩」があれば良い。
美こそすべて。美しさえすれば、侵略も人の命も問題ではない。だから戦後、日本浪漫派は橋川文三あたりに分析され、「日本浪漫派こそ侵略戦争に加担した」と批判を浴びた。
※『日本浪漫派批判序説』(未来社〜講談社文芸文庫)
うむ、宜なるかな。だって日本浪漫派は、社会的経済的政治的歴史的なる見地を一切捨象するものね。ただそこに「美」さえあれば良いといふ。。。
小林秀雄は日本浪漫派じゃなく文學界グループだけど、例の「近代の超克」 ー 西田幾多郎の京都学派や例の吉満義彦らカトリック他が集結した、大東亜戦争を思想的に担保せむとした試み ー に参加。彼もまた、芸術至上主義的な側面がある。
「政治とは、交通巡査の謂である。右折したい車、左折したい車、それらを順次、捌けばそれで良い」。
こんな論には俺もうっかり首肯しちゃうけど、さらに「仏像を見る時には、表れた結果ではなく仏師が木から彫り始めるのを想像して見るが良い」。
こうなると、もはや芸術至上主義である。
小林さんを「保守」などと言う向きがある。大東亜戦争に対する態度から見れば、日本浪漫派同様、一見保守に見えるのかも知れない。
が、日本浪漫派にせよ小林秀雄にせよ、保守だの革新だの、そんなベクトルは全然ない。保守といい革新といい、そんな物差しを当てはめるのがそもそも間違い。
連中は、ひたすら「美」を追求したのだ。かの侵略戦争に加担しようとも、あくまでそれは“結果〝。
まず以って、位相が違う。
そうして「美」こそ、人間のありようを表す。いやさ、生き物全般の。
姿に特化するならば、パドックを見、最終追い切りを見たらば馬はだいたい分かります。勝ち負けになるのかならんのか。
そして相馬眼にせよ選挙の候補者を見る目にせよ、醸成するには例えば日本舞踊を見たら良い。柔らかながら芯があり、所作の一瞬で男から女に変わる、あの佇まい。
※「姿が良い」といふ日本語は、よって今なお有効。
誰が本物で誰が偽物か。ひとまず顔を見たら直ちに峻別できるのだが、それは日本舞踊のみならず、リーマンでも役人でも、はたまた商店主でも、よーくものを考え普通に生きていたらば分かる事。
自民に維新、立憲あるいは共産党、政策やイデオロギーは様々あれど、「どれが本物か」なんぞ、いと容易いのです。自らの経験に裏打ちされた相馬眼と、理性さえあれば。
人でも馬でも同じ事。だって、ともに生き物なんだから。
これもまた芸術至上主義かのー
耽美的なものとしてJapanやABCを先日の記事に上げました。が、あれはもっぱらルックス的で。
純粋に、音的に耽美なのは、
◆デペッシュ・モード ー Enjoy The Silence (2013、ベルリンでのライヴ)
あるいは、そこはかとなく山口小夜子さんがジャケである、
◆スティーリー・ダン ー Aja(彩)
ちなみにコイツはスティーリー・ダンの成れの果て。
山口小夜子さん的には、
◆クラフトワーク ー The Model
耽美。美に耽って他の事は一切目に入らない。
これをThis is 変態と申します。
それでも「美」は我々を魅了して止まない。宝塚歌劇だけではなくって。
真の美を解する者こそ、本物を見極められるのであります。