宝塚宙組『シャーロック・ホームズ』/ Delicieux』(その1) | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

 

本日6月29日(火)、11時公演を観ました。

以下かなりのネタバレですからご注意方。

 

まずは芝居について。

シャーロック・ホームズ(真風涼帆)はワトソン君(桜木みなと)を相棒に、日々犯罪捜査に勤しんでおる。たまさか犯罪が起きないと、キーってなる。「なんか暇すぎて、もう駄目」とか言うて。

そんなある日、ロンドンで切り裂きジャックが人殺し。被害者は多岐に渡り、ホームズはスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)の要請一下、犯人探しに乗り出す。

ジャックなる単独犯ではなく、これは組織的犯行ではないか。ホームズはそう看破し、そして囚われの被害者を救出したとき、彼は自身の見込みが正しいことを確信す。

 

英国政府の重鎮たち。おい、大丈夫かとモリアーティ教授(芹香斗亜)やその兄モリアーティ大佐(紫藤りゅう)に。高官たちは自分の敵、あるいは我が身を滅ぼすと思しき相手を抹殺せむと、モリアーティの組織に依頼していたのだ。

 

冒頭、オペラ歌手アイリーン・アドラー(潤花)が海軍大臣ウイリアムズ(寿つかさ)からある書類を奪う。彼女はウイリアムズの愛人で、酒に薬を入れてその書類を奪う。

これもモリアーティの企みであるのか、そうではないのか。

 

と、ここまで書いたら「これはガッツリ推理もの」と思う向きあろう。ところがそうじゃないんだよなあ。

 

本作を、ひとことで言うなら「なに言ってんのか分かんねぇ」。めちゃくちゃ幼稚。

筋に偏り、「人間」が全く描けていない。

 

いったいモリアーティはどんな人物なのか。単なる犯罪者なのか、サイコパスか。

何ゆえに彼はこうなったのか。

 

モリアーティは言う。「人間の罪は、もっぱら支配することにある。なれば罪を支配したら、この世を征服できる」

・・・なに言ってんのか分からない。

 

宝塚は哲学的であってもいいけれど、哲学的でなくても構わない。台詞はすこぶる大切で、兎にも角にも彼の人物を表さなければならない。まずはこの台詞で、疑問符がついた。

※そしてラストあたりのキキ氏の台詞「なぜ争いが起きるのか。それは万人が『自分が正しい』と思っているからだ」。いや、そんなん手垢のついた言葉でしょう。今更なんら首肯できない。

 

閑話休題。

 

ホームズは ー コナン・ドイルの原作どおり ー 偏屈な男。化学と犯罪捜査にしか関心がなく、政治も文学にも演劇にも、完全なる音痴。それは歌にも明らかだが、真風涼帆なる真っ正直な役者に、この前半部分は合わなかった。ミスキャストではないけれど、これはもっぱら台本が悪い。

 

人物を表すのには長台詞、説明調は要らない。歌でもいいし、ひとつの言葉、ひとつの所作で観客にわからせることができる。

芹香モリアーティといい真風ホームズといい、キャラを立たせようとしながら、却ってそれが逆効果。なぜか。

 

すこぶるゲーム的・アニメ的だから。

生田大和という演出家は、おそらくゲーム好きだと思う。それはいいが、ゲームというのはストーリー(筋)が殆ど。筋ありきのキャラクターである。

本作は、そこに奔りすぎて、全くキャラ(人物)が描けていない。

 

潜水艦設計図の争奪戦。オペラ歌手が詐欺師でスパイ、真風ホームズのかつての彼女(誰?)が自分を守ろうとして撃たれて死んだからいうて、「僕はもう恋ができない」って。。。

子ども?

 

いちいちガキなわけだが、いやこれは生徒のせいじゃない。もっぱら演出家の責任だ。

ストーリーはてんこ盛り。例えばアイリーンとホームズとの邂逅だって、え? 昔キミの犯罪? 1枚の写真? 

救ってあげたとかなんとか、だからいきなり再会して焼け木杭に火がつくの?

 

よし分かった。それを是としよう。

でもなぜアイリーンがミラノからオペラ歌手として来日し、スッシーから設計図を奪ったのが明らかなのに、なぜスコットランドヤードは彼女を確保しないわけ?

のちにヴィクトリア女王(瀬戸花まり)が「これはもう駄目だ。ホームズに頼まなければ」とか言って、無理矢理ホームズに話を持っていく。

 

いや、矛盾はいいのです。作品自体に説得力があれば。

いかんせん、それが全くない。

 

ホームズの、かつての彼女やアイリーンとのいわく。ワトソン君の恋人メアリー(天彩峰理)とハッピーであること。その対比を作家は意図したのだろうが、全く対比になっていない。

ただただ付け足し。♪ホームズのおかげ〜♪ とか歌い踊って。

 

薄っすいなあ。

 

これは先日観た友人が指摘していたことだが、言葉遣いも気になった。

・「争いあう」←正しくは「争う」

・「見させて」←正しくは「見せて」

 

今の若者言葉か何か知らんが、これって日本語じゃないよね。こと伝統を重んじる宝塚なら。

 

あと、ラストあたりで

 

アイリーン「ホームズ、これからどこに行くの?」

ホームズ「ヨーロッパだ」

 

ロンドンに居て、そう言わせるというね。

俺は世界初めて知ったのだが、イギリスってヨーロッパじゃなかったんだ。へー。

生田氏は、最近のブレグジット(英国の欧州連合離脱)を以って、イギリスがヨーロッパじゃなくなったと。ほぉ、そうですか。

 

勉強不足も甚だしく・・・

言葉、台詞はすなわち「概念」であるから、極めて重要。シェークスピアを見てご覧なさい。殆ど言葉で出来ているから。

 

要は生田センセって脳内が子ども。まるで矢野監督みたい。

 

批判 ー 悪口ちゃうで、批判やで ー ばかりじゃアレなので、良かった点を。

まずワトソン・ホームズの下宿屋の女主人(遥羽らら)。さすがベテランですね。俺は映画でもなんでも、つい脇役に目が行くのだが、彼女は中年の女性をしっかり演じていました。

次いで女王の瀬戸花まり。台詞回しがイキり過ぎててアレだったけど、化粧顔が檀ちゃんにそっくり。いや、見た目は重要でしょう、宝塚だから。

新発見は娘1。彼女はか細く寄り添うタイプというより、力強い女役。

そして音楽な。真風さん歌うテーマソングは秀逸。

 

本作は、コナン・ドイルのシャーロックホームズ、その第一弾の『緋色の研究』をベースに、重厚なる人間ドラマにした方が良かったのではないか。ガッツリ推理を通した人間モノに。

あるいは、もし遊ぶのならコメディに特化して。真風ホームズも芹香モリアーティも、犯罪通じて徹底的に〝ギャハハ!〝。思いっきり楽しませるという。

 

滝のシーンといい、こんな作品やらされる生徒が可哀想。それが一番俺の言いたいこと。

 

「生田、おまえ台本よこせ。徹底的に直してやる!」状態でした。俺のほうが間違いなく上手く書ける。

ツッコミどころ満載ですから、みなさん是非観に行ってください。

単に「真風さん、キキちゃん、キャー!」みたいなアホ観客はさておき、めっちゃ頭くるで😁

 

〈次回はショー編〉