写真は晩秋の京都加茂川。
浅黄に桜の飛び小紋、帯は赤めの八寸名古屋。
ちょいとそこまでという体で嫂は裏木戸を出ると、つづら折りの山道を上り、そのままいなくなった。
いつも静かに微笑んでいた嫂だが、短気な兄が私を打つとき、両手を広げて庇ってくれた。目にいっぱい涙をためて。
か細い嫂が、大きく見えた。
200年後。
タウン誌のライターとなった私は、とある地方の和菓子店を取材。そこは旧家で、長屋門から入ると広大な敷地に母屋。その引き戸を開けたら店舗。
桜餅に栗饅頭、水羊羹がカウンターに並ぶ。右手は20畳の座敷で、緑茶とともに喫する式である。
裏手が工場。白の調理服に衛生帽の職人たちが、烟る作業場でゆるりと働いている。スローモーションのようである。
私は取材がてら、その左にある休憩小屋で彼らと談笑。紫煙の向こうに笑顔が並ぶ。オーナーはじめ、すこぶるフレンドリーな人々である。
それから数年ぶりに訪れたその店はしかし、店こそ変わらずやっているものの生気がない。挨拶しても少し目を上げ「ああ」。心なしか、みんな顔色が蒼い。
止むなく裏手をぶらぶら歩き、ふと崖を見下ろした。すると、あの木戸があった。
◆ロザリータ
これは敵討ちの話。
◆Fire
しかし弘道会と対峙するF君いわく、
「これってまさに、兄貴の曲じゃないですか」
◆ジャングルランド
以上夢日記。『その木戸を通って』は山本周五郎。