| ピアノ弾き語りミュージシャンとして活動していました。 |
自己紹介動画におよその経緯を語っていますが、
事情により
「高校を卒業したら自力で生きていく」という
覚悟を決めました。
と・・・
そこまでは良かったのですが、
| 始めから「歌!」ではなかったのです。 |
世間のことなど右も左も全く解らず
私が通っていた高校は
歴史も古く、
県下では有数の進学校だったので、
就職の指導は皆無で、相談する相手もいませんでした。
そこで、
仕事を探すために何をしたらいいのか、悶々と考えた高校時代でした。

| まずは「自活への道!」の模索から。 |
高校2年生の頃から、
アルバイトなどもこっそりしていましたが
学校ではアルバイトを禁止されていたので、
誰にも見つからないように、ということが最優先。
そこで高校生にありがちなウェイトレスなどではなく
レストランの厨房仕事を選ぶことになりました。
洗い場で長靴を履いても滑る床に閉口しながら、
黙々と大量の汚れたお皿やグラスを洗っていました。
職場の先輩たちにはとても可愛がって頂きましたが
全身びしょびしょになるし、
手は洗剤負けでボロボロになるし・・・
偶然、隣の席になった同級生の女子が、授業中に突然
「Machikoちゃん、手が大変なことになってるのがずっと気になってたの。
コレ!新しいの買ってきたから。
お水使う前に使ってね?とても効くから!」と
そっとハンドクリームを手渡してくれた時は、
「アルバイトしてるのがバレた~?」という焦りの気持ちより
「実の親でさえ知らん顔なのに」という嬉しさのほうが
何十倍も勝ってしまい、
授業中なのに、今にも涙がでそうになり困りました。
今でも彼女の優しくさりげない心遣いは忘れません。
私も、彼女のような心づかいの出来る女性でありたい、と
心から思い、以後、人様に何かして差上げる時はいつも
「私、ヨウコさんのようにさりげない優しさが出来てるかな」という想いと共に
あの日の彼女の顔が目に浮かびます。
でも、現実問題として日に日に手は悪化してしまいましたし、
偶然お店の前を通りかかった他の同級生に見つかってしまったこともあって
告げ口されるかもしれない、などという心配ではなく、
17歳という年頃にも関わらず、荒れに荒れまくった自分の手を見ていたら
「アルバイトをしているという事実」が恥ずかしくて、情けなくて、
洗い場のアルバイトは一年弱で辞めました。
| 「歌の仕事なら私にも出来るかも!?」は、勘違い? |
そんな中、
当時は、テレビで歌謡番組全盛の頃だったので、
自分と同じ年頃の少女たちが華やかに大活躍しているのを見て
「この人たちの歌でお金が稼げるなら、私にも出来るかも!」と思ったわけです。
幼少の頃から、
自己表現できる唯一の手段が「歌うこと」だった
ということもあり、
内心、ちょっと
テレビで大活躍している彼女たちにであっても
「歌唱力では負けない!」自信もあったんですね(笑)
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いざ!弾き語りの世界へ
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さて、弾き語りの業界に飛び込んではみたものの、
まずは
ライバルは百戦練磨の強者ぞろい
業界慣れしている古株ばかり数十人が参戦、という
激戦のオーディションに受からなければ
仕事は頂けませんし、
合格して晴れて仕事に就いても、
お店のマネージャーやスタッフに気に入ってもらえなかったり
お客様からの急なリクエストなどの要求にお応えできないことが続けば
突然スタッフルームにあるミキサーの元電源を切られて
即刻「クビ!帰れ!!」と言い渡され、
その日務めた分のギャラも頂けない、こともあります。
歌でお金を頂くということは、
見た目の華やかさとは違って
本当にシビアな芸人の世界でした。
| 凄腕の女性ピアニストからのアドバイス |
内心、「これでは死活問題だな~」と不安で仕方なかった頃、
横浜・本牧で有名な凄腕の女性ピアニストを紹介して下さる方がいて
ある日、思い切って
ワンポイントレッスン(フィーは当時のギャラの2日分!)を兼ねて
アドバイスを頂きにいきました。
ところが、先輩ピアニストの言葉がまた、
駆け出しの私には意味不明で・・・
三曲ほど私の弾き語りレパートリーを聴いては頂いたのですが、
演奏に対する反応はにこりともせず、
「いいんじゃない?」の一言だけ。
そして、一呼吸置いた後、
おもむろに言われた言葉が
「お客様は自分の歌を聞くためにお店に来ている訳ではない!
親しいヒトや職場の付き合いなど、
思い思いに楽しみに来ているだけ。
だから半年以内に、
お客様がグラスや食器をテーブルに於いて
自分の唄を聴いてくれているな、自分に視線を向けてくれているな、
と感じることが起きなければ、
この仕事で食べていくのは無理!
業界には向いていない、つまり「華」がないということ。
悪いことを言わないから
その時は弾き語りはきっぱり諦めて他の仕事に就きなさい!」
というものでした。
「グラスを置いて・・・」、とはどういう意味なのか、
具体的に私は何をしたらよいのか全く解らなかったので、
恐る恐る、
この業界で生きていくためにはどうすればよいかと質問した私に
先輩は
「大丈夫!半年以内に、それが判るということは
仕事がもらえてるということだから
私がアドバイスしたことがちゃんと出来てるということ。
反対に、判らないということは、
半年以前に仕事がなくなってるということだから、どのみち知る必要もない・・・
明快でしょ!」と・・・
私は、それ以上、一言も言えず・・・
音楽業界は体育会系のノリなので、上下関係は本当に厳しいのデス(泣)
「全然、大丈夫じゃないし!」と泣きそうになりながら帰宅して
その日から、私の挑戦が始まりました。
| ミュージシャンとして生き抜くための挑戦の日々 |
他の楽器と違って
唄は自分自身の身体を「楽器」として操ることです。
そして、「歌詞=言葉」があります。
そこで、全てのスキル、テクニック
及び曲ごとの要素を分解するところから始めました。
来る日も来る日も試行錯誤を繰り返し、
眠っているか、
食事、トイレ、お風呂など自然の摂理に従っているとき以外は
ずっとピアノを弾き続け、歌い続けました。
本当に、来る日も来る日も、延々と
同じ個所を何度も何十回も何百回も弾き語るので
自動的にオーディエンスにされている家族も
たまったものではなかったと思います。
毎日のように、父に
「ピアノなんか弾いて遊んでるんじゃない!!」と罵倒されながら
汗だくになって一心不乱に試行錯誤を繰り返し、
「お客様の心に届く声・歌い方」を研究して
独自のメソッドを考案・実践した甲斐がありました。
当初はまだ独立していなかったことと
弾き語り自体が夜の仕事だったことで、
家族の風当たりはきついものがありましたが
ものの数か月で、
幼少の頃から10年間続けたクラシックピアノのお月謝分は
軽くペイして
ようやく「これで弾き語りで生きていける!」と実感した時は
生まれて初めて自分を誇らしく思えた瞬間でした。
| 超特訓の試行錯誤を経てやっと成果が! |
気が付いたら、半年もたたないうちに
出演日には
お客様からリクエスト曲にお応えしたお礼として
お店のグランドピアノの上に色とりどりのカクテルが
置ききれないくらいに並ぶようになり、
チップ収入も
一日のギャラの3~5倍頂けるようになり
お馴染みのお客様もたくさんできていました。
| ヴォーカルインストラクターとしての再出発 |
出産育児を期に、現役のステージをほぼ引退した後は
ピアニストであるパートナーと共にスクールを本格的に立ち上げ
ヴォーカルインストラクターとして
「一曲でいいから、唄を上手く歌えるようになりたい!」
という延べ200名以上の受講生を指導。
「誰でも6か月で必ず歌が上達する!」という
レッスンを提供してきました。
受講生達は、唄が上達するだけではなく、
職場やプライベートでの人間関係が改善され、
人生そのものが前向きに、明るく変わっていきました。
実際にどんな人に、どんな効果が上がったのかは、
自己紹介動画でもお話していますので
見て頂ければ嬉しいです。
スクールも更に活気がみなぎって来て、
私の担当するヴォーカル科受講生を中心に、
横浜校は全科の受講生がいつでも和気あいあいと笑い合い
レッスンのない日も自発的に練習にやってくるなど
音楽を学び楽しむ素敵なコミュニティになっていきました。
私自身も始めはそこまでの効果があるとは
正直言って、期待していなかったのですが、
、
一時は、グループレッスンを含めれば
週に100名超えのレッスンをするほどの
大盛況になりました。
| 受講生達の劇的な進化に我ながら驚嘆! |
中でも、思い出すのは、
発表会前のアンサンブルレッスン時などに
他の科の講師達から
「Machiko先生の生徒さんは、入学して3ヶ月も経たないうちに
全員がアレンジなどについて主張出来るようにまでなってしまうので、
他の科の生徒の上達レベルが全く追いつきません!」
とよく言われていたことです。
長すぎてしまったので、この続きは次回の記事で・・・
最後まで読んで頂き有難うございました。

