本日は旧暦三月三日、乙巳年庚辰月己亥日。上巳の節供、雛祭りです。

 

 桃の節句ともいわれる上巳節は平安時代より前であり、京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んで健康と厄除を願った「上巳の節句」が始まりとされています。

 もともとは支那の婚姻と生育の神の高?を祀るお祭りで、沐浴して、禊を行い、身体を清潔にし、体の邪気を払っていました。後世、曲水の宴を行うようになり、王羲之が蘭亭序を書いた「蘭亭の会」が有名です。

 曲水の宴は文人が水べりで宴会をしながら詩をつくる行事で、平安時代に貴族たちもこぞって和歌を詠んでいます。日本の場合は、盃などを流して、その器が自分の前に来るまでに読まないと盃を干さなければいないなどの余興もあったようです。

 元々は三月上旬の巳の日でしたが、古来中国の三国時代の魏より三月三日に行われるようになったと言われています。

 やがて武家でも行われるようになり、江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、行事となり発展していきました。その後、紙製の小さな人の形(形代)を作ってそれに穢れを移し、川や海に流して災厄を祓う祭礼になっていきます。この風習は、現在でも「流し雛」として残っています。御所を模した飾りは「御殿飾り」として残っており、段飾りとは違った雰囲気でなかなか趣のあるものです。

 上巳のお軸はなんといっても「立雛画賛」を挙げたいですね。普段は画賛を掛けない私ですが、もうこれ一本でいい!というぐらい(笑) 強いて挙げるなら「桃花千歳春」「桃花笑春風」「桃李自成蹊」でしょうか。

 

_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/

「抹茶は甘い飲み物です」

_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/



 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 4月20日は旧暦三月廿三日、上巳は過ぎておりますが、ひな祭りの風情でお迎えいたします。

 

 

 また、会終了後はおしのぎがございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 濃茶 
 薄茶 


 定員5名(別途手伝い枠3名)満員
 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 

■日時
 令和7年4月20日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 

■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
 

■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 

 本日は旧暦三月一日、乙巳年庚辰月丁酉日。弥生朔日です。

 旧暦一月から始まった春も今月で終わりを迎えます。

 弥生は草木が生い茂る意味の「木草弥や生ひ月」が短くなったものと考えられるそうです。

 晩春、季春ともいい、春の最後の月です。

 

 さて、弥生の別名というと

 

 桜月【さくらつき・さくらづき】
 桜の咲く月だから

 

 

 雛月【 ひいなつき】
 三月三日がひな祭りなので

 早花咲月【 さはなさづき・さはなさきつき】
 早咲きの花が咲く月の意味

 夢見月【ゆめみづき】

 夢見草(桜の別名)が咲き始める事から「夢見月」と言われています。


 染色月【しめいろづき】
 不詳

 
 嘉月【かげつ】
 花月の字替えと思われます。

 花月【かげつ】
 花は桜のこと。桜の季節の月の意味。

 花津月【はなつつき】
 津は「の」の意味。花月に同じ。

 

 花見月【はなみつき・はなみづき】
 花は桜のこと。花見をする月。

 

 春惜月【はるおしみづき】

 旧暦では春の終わる季節のため。

 

 暮春【ぼしゅん】

 旧暦では春の終わる季節のため。

 

 建辰月【けんしんづき】

 「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で辰の方位を向くため。

 

 蚕月【さんげつ】

 旧暦三月は蚕を飼い始める時期であるため。

 

 宿月【しゅくげつ】

 不詳

 桃月【とうげつ】

 桃の花の咲く月の意。

 

 まだまだありますが、この辺で♪



購入元:ヤフオク
購入額:★★☆

 

 青楽の施釉灰器です。

 吉村楽入さんの楽入丸印で、新品で購入すると🌟🌟★★★☆ぐらいしますので、十分の一ぐらいですねw

 





 口径17.5cm 高さ5.5cm

 これ、まんま建水として使えんじゃね?……と思わせる品(笑)

 実は風炉の灰器はこれで2つ目?でして、あまり持っていません。

 

 これから数が必要になってきますので、色々揃えていきたいと思います。

 

 それにしても、青楽に金化粧のあるこの形、誰かのお好みなんでしょうか?


 こちらは当面、米棚の建水にでも使うとしますか(笑)←ぉぃ


 本日は旧暦二月二十八日、乙巳年己卯月乙未日。

 

 天正十九年(1522)に千利休が切腹した日です。

 

 利休を祖とする三千家では利休忌が行われます……といっても、表千家は新暦3月27日(たまたま今年は同じ日ですね)、裏千家と武者小路千家は新暦3月28日に追善供養を済ませます。

 あくまで、旧暦に拘る方(私みたいに?)向けのご案内ということにしてください(笑)

 三千家では、利休坐像遺偈賛の掛軸に、楽焼の三具足(香炉、華瓶、燭台)と供茶茶盌、盛物台を用いるようになっています(これでなければならないということではないようです)。
 
 道具については過去に記事にしていますので、参照いただくとして(【道具】三具足のこと)、利休忌=利休の命日――すなわち、利休の死について話したいと思います。

 利休の死は切腹という「武人が身の潔白を証明する死に方」で行われています。
 これは当時、大変名誉なことであり、家名を重んじる傾向にある武家では、家名存続のための大きな手段になっていきます。

 そもそも、秀吉の派手好みと利休の侘び好みの対立ということが示唆されている訳ですが、秀吉は現実的に批判をされた山上宗二を斬首させていますが、利休は批判をせず、秀吉の好みを取り入れて新しい美を造り続けて行きます。つまり、ここには対立構造というよりも、パトロンの要望の上を行く芸術家としての利休が見えてくるだけであり、さして切腹の理由にはなりません。

 そもそも切腹とはどの程度の罪に対して行われるものなのでしょうか。
 江戸時代においては武家にのみ許された死に方で、主君から命ぜられて自らの行いによって罪を贖うということが含まれています。つまり「嫌疑による罪を腹を裂いて潔白を証明する」という意味になります。

 つまり、利休はなんらかの「嫌疑」を掛けられていたということになります。
 表向きの理由は、どうであれ、実際には嫌疑を掛けられていたが証拠はなく、秀吉はこれを赦すために切腹を申し付けた……とするのが、最も自然な落着であるように感じます。

 その嫌疑とはなんでしょうか?
 おそらくは「次の天下人」のことであったのではないかと。
 この頃の大名は茶の湯をしない者は「風流を解さぬ品のない者」として蔑まされていた部分があります。これに反発していたのが石田三成や上杉景勝です。とはいっても、上杉家は前田慶次を雇い入れるなどの傾奇を解する大名で、風流を解さぬとは思われていません。つまり、石田三成とそれ以外の人たちの対立ということになります。

 いわゆる文治派と武断派の対立です。
 この両方を抑えていたのが羽柴秀長でした。そして、利休を庇護していたのも実は秀長です。この秀長が亡くなってしまい、後ろ盾を失った利休は政争に巻き込まれ、石田三成ら文治派から糾弾されたというのが、私の見方です。

 次の天下人に秀頼を就けたい秀吉と、そこに付け込み官僚体制を敷きたい三成、大名となった子飼いの武断派たちは自らの手で秀頼を守ろうとする。つまり「豊臣体制をどういう手段で維持するか?」という対立です。そして、武断派と打倒豊臣体制の筆頭格である家康を結びつけないためには「利休を排除する」ことが三成らによって画策されたのではないでしょうか。

 それは結果として、秀吉麾下の子飼いである武断派が利休の茶道の弟子とつながっており、こぞって家康に接近してしまうことになり、豊臣体制が崩壊していく訳ですが、それこそが三成と対立した家康の狙いであったのではないかと考えます。

 いずれにせよ、利休の切腹は「謎だらけ」です。
 是非、利休忌にちなんで、皆さんで謎に挑んでみていただきたいですね。

 

 

 

 

 さらりと宣伝ですが、この謎を違った角度から捉えるための小説を書き始めました。

 

 よろしければ、是非。