大寄せが大分増えてきまして、喜ばしいのですけれど、濃茶は一向に吸い茶に戻りません。
私はコロナ禍でも、ずっと吸い茶を続けて居ましたが、誰一人コロナに掛からず、私も母も一度も罹患せず今日まで来ています。
しかも、私はコロナ禍でも毎日出社し、一度もテレワークせず、今でも毎日マスクせずに通勤しています。
故に何に怯えるのか?よくわかりません。
茶カテキンに含まれるEGCGの働きでコロナウイルスが増殖できなくなることや、接触感染がなく、すべて飛沫感染であるということを知れば、各服点てでなければならぬ理由などないことが分かります。
以前から「濃茶は各服に戻すべき」という風潮はありましたが、私は「一座建立のために同じ共同体への帰属意識を持つための吸い茶」というものを大切にしていて、「それができぬのは似非茶人」とまで公言しています。
古代に於いて、盟を約するのは「血」によって行いました。神に生贄として差し出した牛の血を酒に混ぜて廻し飲みをすることで、仲間となることが行われたのです。
盟の字は元々「明」+「血」の会意形声文字で、現在は「血」を「皿」と書くようになりました。
ここでも「一つ釜の飯を喰う」と同じ呪術的な帰属意識の統一という儀式であることが伺えます。
その場に集まる同好の士であっても、吸い茶をして一座建立をしたくないというのであれば、それは茶の精神を実践しようとしない道から外れた者――外道ということになります。
そんなことを言ったって、気心も知れていない人とは嫌だわ〜なんて思われる方もおいででしょう。
しかし、その気心のしれている人も、元々は知らぬ他人だったのです。そうした新たしい出会いの切っ掛けが吸い茶であってもいいのでは?
吸い茶を求める人が一人でも増えますことを。
招かれし茶会にありて一つ盌の
茶を啜りしは一座建立 道舜
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