昨日・今日とチャッピーにこのブログを分析させてみまして「私が怖い先生」とか「弟子が来ない理由」を突きつけられました(笑)

 

 それは、このブログが「自分に向けて書かれている」からということなんですね。

 

 というのは、このブログは「私の備忘録」なんですよ。

 

 知識を披露するというよりは、自分が疑問に思ったことを調べた過程や思考の深化を書いている訳です。

 

 小学校四年生のときの担任が、生徒に「~~の心」というのを贈るのが好きだったのですが、私には「知識を求める心」という言葉を贈ってくれました。

 

 このときから私は変わっていないのだと思います。

 

 唐物の話も「唐物が舶来品ならなんで『漢作唐物』なんていうんだ?」と思ったのが出発点です。

 

 帛紗の話も、「東西南北を清める」といわれても「なんで東西南北を清めるのよ?その理由は?」と思ったからなんです。

 

 案外、茶道の先生って、そこで止まってる人が多くて、私は仕方ないから自分で調べよう!って思って、室町時代を調べて当時の風習や考え方を調べて、どうしてそうなったのかを色々調べて考えて、自分なりに腑に落ちるまで考え抜いた結果、辿り着いた内容をここに書いています。

 

 茶道はそういう「知る喜び」に満ち溢れた世界です。

 

 初心者ほどそれが多い。

 

 答えを教えたら簡単です。

 

 私は先生になるときに、丁度読んでいた宮城谷昌光先生の『子産』という小説にあった「弟子の三倍の知識が要る」と言葉に感銘を受けて勉強している訳ですが、弟子に答えを教えるだけなら楽なんです。

 

 そうではなくって、弟子に考えてもらう、気づいてもらうのが難しい。

 

 そして、知る愉しみ、知る喜びを知ってもらうことが難しいと思っています。

 

 なので、答えを知りたい人には答えを教えますけれど、本当は自分で答えに辿り着いたほうがいい。

 

 答えを聞いた人は忘れますが、答えに辿り着いた人は忘れません。

 

 なんとなく、今までと書き方を変えてみたんですが、伝わりますでしょうか?

 

 これからはこれからも「知る喜び」を伝えられるような記事を書いていきたいと思います。