綾冠さまのお席を辞して、向かったのは円成庵。
ここは、三畳半台目の小間席。
外の腰掛待合で並んで待つのが常ですが、時間がありそうだったので、母とWAさんに食事を取ってくるように勧め、私は残っておりましたら、御家中の方がいらっしゃいまして、いろいろ御家中のお話をしてくださいました。
その方は諏訪氏庶流で武田家に仕え、勝頼の直臣となって、滅亡後に安藤家に仕えたそうです。多くは江戸の下屋敷に詰める事が多かったそうで、明治になって磐城平に戻られたようです。
御家中だけにやはり御家流さんを習われて居られますが、「不調法で」と謙遜されておられましたが、磐城平の武藤先生(雪枝くんの先生)の御家中とのこと。
いい方と知り合えました。磐城平でお茶会があるときはお知らせいただきたいものです。
さて、お部屋に入りますと、雄壮な字の掛軸が迎えてくれますが、目を奪われるのはなんといっても風炉と釜。
綾冠さまから「円成庵には若林さんの作品がでております」とのことで、どんなものだろうと思っておりましたら、なんと糸目千筋の釜で、鐶付が蜻蛉です。最初は翅が見えず、変わった鐶付だな、なんだろう……と思いつつも下の乾坤風炉(八角風炉・八卦風炉)に目が行っていたものですから、蜻蛉に気が付かなかったんですね。
目を凝らしていると「あ! 勝ち虫!」なるほど、新暦端午にちなんだ席としては必然でございました。
相馬の水指は氷裂紋なのですが、墨貫入が上の方だけで、下には入っておらず、馬がまるで氷原を駆け抜けるかのような素晴らしさ。ただし、内側の貫入は底まで墨貫入になっているという凝りよう。素晴らしい道具でした。
棗は昔棗とのことですが、珠光好とはことなり、下膨れの溜塗、これは後で調べないとと思ったのですが、出てこない。まだまだ私の知らない道具がある。精進を怠ってはいけません。
主茶盌は李朝の堅手とのことですが、どうも李朝中期の珍品っぽかったです。とある美術館が閉鎖した際に流出した品のようでした。箱は合わせの箱で、伝来がないようでした(態々箱を持ってきてみせてくださいました)が、李朝中期で間違いないとおもいます。いくつかの特徴がでておりましたので。
毎度のことですが、惜しげもなく唐物を出してくださる(このお席も菓子器が紅安南の菓子鉢)のですが、客が茶入以外の唐物の扱いをご存知ない方がちらほら(いや大分?)見受けられ、大鉢をひっくり返したり、金継ぎ部分を持ったりするのをみるにつけ、この度量こそが大名茶なんだなと思います。
町方の茶会では見ることのできない道具にきちんと物語を載せて、茶会を開かれることの意義、私も大切にしたいとおもいますね。
自分の開く茶会では唐物オンパレードなどということは無理にしても、客を愉しませるための工夫というものは必要と存じます。
6/14(日)のお茶会で、皆様がそこを愉しんでいただけたらと思っております。
