今朝、室町戦国期の和歌を集めた本(『室町和歌への招待』【林達也・広木一人・鈴木健一/共著】)を読んでおりまして、「あー、これは茶の湯のことを言ってるな」という和歌がありました。
解説を読むと、茶の湯には触れておらず、歴史学者にもありがちなのですが、茶の湯の知識がないため「専門の世界だけで考えようとする」のですよね。
室町戦国期は茶の湯全盛時代で当時の一流文化人はほぼ茶の湯に関わりがあります。
和歌の大家である、三条西実隆も、武野紹鴎に手解きしているほどには茶の湯を嗜んでいます。
史学的には武将や商人の繋がりなどにも茶の湯の繋がりがないと「どういう繋がりが?」というようなこともあります。これは和歌や香道というものでも似たような事象が起こります。
つまるところ、和文化というのは、和の骨子が織り込まれているため、類似の世界から仮借するということが往々にして行われており、相互に影響し合って発展しているため、それだけを学んでいても駄目であろるということです。
先日、志野棚を指して、「紹鴎袋棚」と仰っていた方がいらっしゃいましたが、香道の知識があれば、「それは違うだろう」となる訳です(紹鴎の袋棚は両開きの戸袋棚であり、二本柱の猿曳棚系と四本柱の引拙棚系があります)。
香道では様々な種類の志野棚が再好されており、あの形を志野棚以外で称したものをみたことがないほどです。
つまり、茶道は、「茶道だけを学べば良いというものではない」ということになります。
そこには、歴史・和歌・漢籍・能・香道といった世界が密接に関係しており、それ以外にも諸々の和文化が関わっています。
和歌を学ぶにも、歴史を学ぶにも、茶道は不可欠であると思います。