黄金の茶室というのは、豊臣秀吉が造らせた金箔貼りの茶室で、三畳(京間)で組み立て式になっているとされるものです。
 

佐賀の名護屋城と大阪城、熱海のMOA美術館に復元されたものがあります。

 

 秀吉の権勢を示した派手の象徴といわれますが、実際には「当時の屋内の昏さ」や「夜の蠟燭の灯りに照らされる」ことなどを加味して、幽玄の世界を表現していたと再評価されています。

 

 利休が設計に携わったとされる資料はありませんが、状況的に天下一宗匠とした秀吉が自らの茶室の設計をさせないというのも不自然で、また、正親町天皇に対する献茶の際に利休が黄金の茶室で茶頭を務めていることからしても、利休が設計していないとは考えにくい……とされています。

 

 私は、細かい設計は別の人間(建築を得意とした棟梁)が行ったと思いますが、組み立て式にすることや、その分解して持ち運べるようにしようという発想や、茶室そのもののレイアウトや配分などについては利休の指示であったと考えます(利休はプロデューサーなので)。

 

 この黄金の茶室を持って秀吉の茶湯を貶めるのは不自然で、織部の茶を容れて、有楽の洒脱も排除せず、それぞれの個性が光っていた時代の象徴だったのではないかと。

 

 私が考える秀吉の茶の湯とは、利休の理想とは違ったとしても、利休が秀吉の茶の湯を嫌悪したとする従来の考え方には頷けないものがあるのです。どちらかというと、秀吉は利休の茶の湯を認め、利休も秀吉の茶の湯を認めていたと考えます。

 

 Threadsで、黄金の茶室を「派手の権化」と断じて居た方がいらっしゃったので、記事に纏めてみました。