Threadsで、書道家の方とちらりと話したのですが、そこで知ったのは「書家の書道史は、伝聞が多く、いい加減です それが本になってしまってる」という事実です。

 

 あれ? これどっかで聞いたフレーズですね。

 

 ああ! 茶道の「茶人の由来は伝聞が多く、いい加減で、本にもなっている」のと同じですwwwww

 

 例えば、有名な「千利休の屋号は【魚屋】」というのも、女婿の家系である宗旦の子・江岑宗左が紀州家に仕えて提出した『千家由緒書』に書かれていることから言われていることで、ここでも「とと屋」となっていて、「魚屋」と書くようになったのは大正時代であることは、以前にも書きました。

 

 しかし、これは「過去の内容を書面に起こした」とされてはいるものの、この手の書状は誇張されていたり、「当時そうだと思われていた」内容が盛り込まれるので一次史料としては茶道界だけが高く評価しているという事実があります。

 

 茶道で検証が必要なものは「伝・◯◯◯◯作」とか「伝・◯◯◯◯所持」とかいうもので、この辺りかなり眉唾物が多いそうです。

 

 ただし、否定もできないため(否定の仕様がない)、放置されているのが現状だとか。

 

 小説『数寄の長者』で珠光青磁の茶盌を十一としていますが、珠光が所持していた珠光青磁の茶盌は四つ。それ以外は「同手(似たようなもの)」であったと思われます。

 

 後年、珠光所持の珠光名物は増え続け、珠光が富豪であったとされていきますが、珠光は一介の商家であり、豪商といえるレベルではなかったからこその、侘数寄という「新たな美意識の提唱」を始めたのかも知れません。

 

 茶道史もそろそろ後世の附会を正して、正確な歴史を詳らかにする時期に来ているのではないかと思います。