GW最終日、あいにくの雨でしたが、茶友のWAさん、雪絵くん、私と母の四人で御家流さんに伺いました。
月光殿前で、お二人と合流。
身支度を整えて、月窓軒へ。
杉並の小笠原くんと、小栗さんが既に並んでいて、一緒に入ることになりました。
御家流さんでどうしても入りたい席は、家元席(月窓軒)と、硯屏点前をする男子席(月光殿)、入子点をする圓成庵です。
まずは濃茶をいただいて、ということで家元席へ伺った訳ですが、後から思うとこれが失敗でした。後から知ったのですが、日本茶道連盟の鈴木宗鶴先生が正客で、次に坐ったのは千家の重鎮なのか、白頭のご老人。
正客でないなら、せめて道具の近くへと思い、詰めの方に流れましたが、微妙に見えにくい場所でした。
ぐるりと一望して道具組みの肝は「仕覆」であることが分かりました。あの仕覆は本当に大事に思われて、席主の思いが籠もっています。
軸との物語のつながりもあり、琵琶床に飾られた巻物「御首途(おかど・おかどで)一件(=御成(おなり)の次第の話です)」との連続性がお家元の物語だったのでしょうが、誰も突っ込まない。安藤家に限らず、武家茶の道具組みというものは組み合わせているだけではなく「物語」が附随しています。
つまり、そこで尋ねるべきは器物の表面的な作者や時代や種類ではなく、何故使われているのか?ということを汲み取って、「◯◯とのつながりがあるのですね」と物語を紐解く糸口をつけるように水を向けて、話していただく必要があるのです(お尋ねが無かったわけではありません)。
掛物は六代信成公の消息で、上杉弾正大弼(おそらく上杉鷹山)宛のもの。
信楽の花入は「絵唐津に倣う」とありますから、自ずと時代が下っていることが分かります。信楽は二代秀忠が茶壺を注文して以降、将軍家の御用達になっており、様々な茶陶を多くの大名が求めています。それに応じて注文で作られたものでしょうか。信成公の時代は水口藩(信楽)加藤明煕・明堯(加藤嘉明の系統)の時代です。明堯は松平氏からの養子です。
香盒は振々蒔絵で、綾冠さま曰く「武家では時期を決めずいつでも使います」とのこと。もともと振々毬杖からのものですから時期があるものではないですよね。
逆に千家は拝領したからこそ、正月に用いるようになったのではないでしょうか。
織部好の朱塗四方卓は五年前に使われたもので、あのときは藤堂伊賀とのコラボでしたが。
しかも前回は秋だったのに対して、今回は春。
前を思い出させないほどの刷新さに感嘆するばかり。
常什という唐胴鬼面風炉は、鐶がとっても素敵な輝きをしていました。使い込まれた良さというのでしょうか。
鐶の上げ下げは当流と同じであることが分かり、織部の流れまでは、左右を点前で下げることが分かります。
原清の宋白磁の写が四方卓に鎮座しており、羊のつまみが可愛らしい。添えられた蓋置はお家元が大好きな仙人が本を読んでいるあの蓋置です。お父様(御先代・綾信公)との思い出を込められた道具組みであったことは疑いありません。
あの仕覆から登場したのは、右京肩衝。二年前にも拝見しているどっしりとした太筒形の美濃焼です。これは近年は師匠坊と書かれる「四聖坊」に倣った茶入ですが、畳付脇のすぼまりはなく、腰が段になっています。師匠坊は出光美術館に所蔵されています。
二年前には織留間道だった仕覆が、緋色地に金襴の素敵な仕覆に変わっている。それが六代信成公に因まれた仕覆であること、そこに物語の肝があったはずなのですが、席中では語られずに終わってしまいました。
改めて思ったのは、物語を大事にする武家茶では、正客は本当に大事で、話の上手い人でないと難しいんだなぁと。私は最近馴れすぎていたので、改めて他人の正客振りを参考にさせていただける機会を得て、感謝の至りでした。
私も正客に上がるときは心して道具の肝をもっともっと目を皿にして見抜き、亭主の思いを連客さま方に聴いていただけるよう、精進しなければ!と思いました。
一尾伊織(別名一尾一庵・一尾宗碩)の茶杓は、織田有楽の「玉ぶりぶり」によく似た下がり節の茶杓。反り腰で、やや節上が長く、玉ぶりぶりほど節下が短くはない感じで、節が太く、雉子股が跳ね上がったようになっています。この茶杓の写がほしいなぁ……と思いました。
織田有楽作「玉ぶりぶり」
https://pds.exblog.jp/pds/1/201302/16/54/b0044754_15363565.jpg
だからこそ、香盒に振々香盒をお使いだったのでしょうね。
茶盌は奥高麗の絵唐津。花入に絵唐津に倣うという信楽を持ってきて対比させているのは見事です。また、これが口作りに鉄釉が掛かっていて半分皮鯨のようになっているのも初夏に相応しい道具だと感じさせます。肌も見事な琵琶色で、奥高麗が、中国東北地方辺りで焼かれた「高麗経由の唐物」であることがよく分かります。焼成温度が高くならないのも頷けるというものです。
替え茶盌は御深井の葵御紋入――我々のいう「献上茶盌」です。紋が青――緑釉で、土も瀬戸の最上級品であることが分かります。おそらく尾州徳川家から献上されたものの下賜品でしょう。
三客が了入。これは来場される方が千家系の人が増えたことに対する御家流さんの配慮でしょう。次客の方が「なんで了入が三番目なんだ」と首を傾げていたそうですが(私には聞こえなかったのですが、友人には聞こえたそうで)、三番目でも高い方だと思うんですけれどねぇ。
綾冠さまが襲名された時までは六客とか七客の茶盌として出されていましたし、私なんかは楽茶盌が来るとガッカリしてしまいましたから。
蓋置も見覚えのある、可愛らしい仙人さまが本を読んでいるもの。音羽焼のものですが、綾冠さまご愛用の品です。子供の頃の綾冠さまが本を読んでいた姿のような気がします。あれ好きです♪
こぼしは時代の砂張でしたが、古銅と見紛うほどのやつれぶり。銅に二つの帯があって、饕餮文のように見えましたがどうでしょうね。
菓子器は珍しい松皮菱手附三段重で、半東を務めた知り合いが危なげなく捌く姿をみて「成長されたなぁ」と感じ入りました。
替菓子器は元の青磁玉取龍文の大皿と平戸三川内焼の献上唐子絵の大皿。空中でくるくる裏まで見る人にヒヤヒヤして、下座の方には出帛紗を使うようにお貸しいたしました。
武家茶の席に入るときは唐物が出るので、出帛紗を持ってきてほしいですね。