二日目・二席目に向かったのは不昧軒です。
髙橋箒庵が松平不昧公の墓の移築に伴って圓成庵とともに普請した十畳広間の茶室で、その名を松平不昧公からいただいています。
棟梁は仰木魯堂。
隣の圓成庵と同じ建物ですが、水屋はそれぞれにあって玄関も別れて独立しており、露地では腰掛で双方を分離しています。
この日は圓成庵もお席がありましたので、列が二つになっていました。蘿装庵(二畳中板向切)の露地が、不昧軒の庭につながっているので、そちらが不昧軒の列、腰掛けの方からの列が圓成庵の列でした。
並んでいましたら、結構無理やり通ろうとする人が多いので、仕方なく「こちらをお通りください」と交通整理をしていました。
不昧軒からの帰りはできれば腰掛待合のところを開けておいて通りやすいようにしたほうがいいと感じました。
これは下足番にしっかり案内させるようにしないとだめですね。圓成庵の方とも打ち合わせの必要があります。
二席ほど待ち、前後にいらした方と和気藹々と和やかにお話して大変らっくりと待たせていただきました。
前方にお年を召した男性がいらしたので、お正客をやらんでもよさそうだなぁ……と思っていたら、案内役の方からお願いされまして、お引き受けしました。
床には色紙で「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」の和歌が。
遠州流さんらしいなーと思っていたら、こちらは十一代宗明宗匠のお筆で、初代遠州が色紙開祖であることにちなんでのことだそうです。
なるほど、優美な裂地の組み合わせですよねぇ。
棚は長板の右端に矢筈棚のようなものがついた「幸来棚」というもので、宗慶宗匠のお好みだとか。房飾りの職人が減っていて、作れなくなってしまいそうであるという話が出ましたが、これは当流の扇卓でも同様の話を聞いていたので「本当に困りますよね」と深く賛同いたしました。
載っていたのはまあるい染付水指で、形は鞠鋏とのことでしたが、胴締めされている鞠形でした。ツマミが沓になっており、とても珍しいものですし、綺麗寂びに相応しい道具です。
風炉をお使いで、遠州好みの瓢風炉。ただ、これは鉄風炉なので、塗の棚物に載せていらっしゃるのが不思議な感じでした。
蓋置は夜学のような灯り皿の台の形をした台形の丸い蓋置で、瓢箪が交互に上下を向いており、貫入のある青磁。それをさっと左端に置かれたので「あぁ、この棚は長板扱いなんだ」と思ったものです。
建水は一見鉄鉢に見えたのですが、よく見ると四方口の志戸呂焼で、なるほど遠州七窯を合わせているわけですね。
茶器は乾漆かとおもいきや、一閑張の菊割茶器。乾漆のように重たくなく、非常に軽く、それでいて重厚感のある根来の物でした。
どのお道具をとっても遠州さんの色がでた見ごたえのある道具で、満足して部屋を辞しました。
「是非、お席に入らせていただきたい」とご亭主に云っていただけるのは、正客冥利に尽きるというものです。