現在主流派の千家各流使われている棚物の内、台子を除くと最も古いものが紹鷗袋棚なので、武野紹鷗が棚物開祖と認識されています。
ですが、鳥居引拙が紹鷗袋棚に足の付いたものを溜塗で好んでおり、紹鷗袋棚はつまみと襖紙とを替え、足を無くし、塗りを春慶塗にしたのものなので、正確には武野紹鷗が棚物開祖とは言えません。
しかも、この引拙棚は点前座で用いられていたらしく、点前も残されています。
さて、この引拙棚よりも前に、珠光好と伝わる棚があります。それが「笈棚」です。
石州流さんに伝わる石州好の笈棚とは全く形が違うようで、代用品として桑小卓を用いているのだとか。
引拙棚に足があることや、笈厨子の形状から鑑みると、どうも地板のない棚のような気がいたします。
聞けば『茶道正法眼図之書』に真塗であったという記述があるということなので、その書物を見てみたいのですが、どうも翻刻されておらず、古書として流通した形跡があります。


ああ、なるほど、これは桑小卓に似ています。聖脚【ひじりあし】というそうですが、外に反っていく脚が特徴的です。
下の渡りの部分が中板になった訳ですね。
これの竪板を取り払い、真塗にして香炉卓として床飾りの中央卓にしたと考えると納得です。
石州流さんの笈棚珠光好の飾り方を教えていただけたら、『茶道正法眼図之書』で確認の後、笈棚珠光好写を作ってみたいものです。
志野棚を桑で好んだという志野宗信は珠光の弟子ですので、この笈棚を桑で好んでいたかも知れませんね。
それに矢筈の地板を付けたのが仙叟ではないかと。
笈棚は中央卓として使われたと考えると千家さんの伝承と噛み合いますし、鳥居引拙が棚物開祖ということになるので、ひとまず中央卓ということにしておきたいと思います。