艸雷庵は、青年部 小堀宗晋先生のお席です。

 

 小堀家の方かと思われますが、しっかりしていらして、道具の説明も淀みなく、大変若者らしいお席でした。

 

 寄付は 円覚別峰筆 「無 月有花有」。

 円覚寺別峰老師ーーつまり朝比奈宗源老師です。水戸黄門、大岡越前など、時代劇の題字を手がけたことでも知られている御仁で、明治24年生~昭和54年歿。静岡出身で円覚寺派管長を務め、著に「碧巖録訳註」などがあります。この方の色紙を一枚持っておりまして、「何処かで見たことある字だな」ぐらいは分かったのですが、別峰という号は記憶にありませんでしたw

 

 次は覚えておきましょう。

 

 こちらは立礼席です。立礼台という宗圓宗匠好の立礼卓でのお点前でした。

 

 風炉が鉄の遠州好瓢形。

 これは、釜と風炉が切合のようにピタッとくっつくもので、全体で瓢の形をしているという面白い風炉釜です。

 前に、ネットでは意見したことが有り(ヤフオク)、印象に残っていたのでスグ分かりました。

 

 献茶で使われていた桑花輪違の香盒はこちらに飾られていました。

 

 水指は「朝鮮唐津ではない、唐津でもない、古曽部に似てるがやっぱり違う、なんだ?」と思ったら、静岡繋がりの志戸呂!そうです、遠州七窯の一つではないですか。あーーーー、まだまだ引き出しがきちんと整理されてないなーと感じながら、話に聞き入っておりました。

 

 そもそも、寄付の朝比奈宗源老師も静岡繋がり。

 

 床の清流富士画も静岡繋がり。

 

 平棗の三保の松原蒔絵ときて、茶杓が羽ごろも(十三代宗博作共筒)、主茶盌が「不二」とくれば、羽衣伝説がモチーフという繋がり。いやぁ、見事な道具組ではありませんか。

 

 建水が南鐐の六角捻(長野烈先生作)、蓋置が南鐐月(大西清右衛門作)とくれば、夜から夕方に掛けての羽衣の舞が見えてくるようです。

 

 同席された豊平良彦先生の長盆が拝見に周り、霞蒔絵とのことで、富士の雲海が、席を一周して富士の周りに棚引く様子を感じさせてくれました。

 

 将来有望な若手が要ることを知り、小堀遠州流の未来が明るいことを知りました。

 

 とてもうらやましい限りです。

 

 次は家元席ですので、楓の間に移動します。

 艸雷庵から月光殿は、つながっているので、ショートカットして履物だけ玄関に置いて向かいます。