令和6年3月24日(日)、小堀宗圓宗匠・宗峯若宗匠よりのお招きで、遠州忌に参加させていただきました。
組分けがされておりまして、組分けごとに「何時に何処の席入り」というのが決まっており、なるほどスムースに回れるように取り図ってくださってるのがわかります。私達(私と母・宗靜先生)は宙組。
受付で、岩田宗匠(宗徧流正伝庵の家元)がいらっしゃいまして、ご挨拶。なるほど、さすが武家茶のお付き合いだなぁ~と。
9時半より忠霊堂にて、献茶式とのことでしたので、忠霊堂に向かいます。
岩田宗匠は貴賓席に。
来賓席が空いていまして、宗峯若宗匠から「どうぞ来賓席に」と案内されましたが、流石に気が引けまして、宙組の一般席へ。
軸は十二代宗舟筆の遠州寿像。明治三十年二百五十回忌の折のものとのこと。淡い色彩でやや線の細い武人像が描かれていました。
そこに飾られていた香盒は茶道をこの上なく愛された小堀宗通宗匠の姉・百合子さまが15歳で皆伝を受けたということを記念して作られた桑花違文で、小堀宗忠宗匠の箱がついているそうです。残念ながら、百合子さまは関東大震災でお亡くなりになられたそうで、小堀遠州流の方々は口々に生きてらしたらどれほどの茶人になられただろう……と思われたことでしょうね(これは本席でお聞きした話ですが、こちらの道具なので)。
台子は、遠州好みでバッチリと組み合わせてあり、七宝釻付の釜にまん丸の鬼面風炉、瓢箪形の唐銅水指に、下蕪の杓立、餌畚形の建水と揃っています。四代高木治良兵衛の作だそうです。高木家は、初代が大西家浄雪に師事し、安政二年(1855)年創業し、以後代々三条釜座で釜の製作にあたっています。初代兄は大西家十二世浄徳を継いで、十三世浄長の後見人として大西家に残っています。現在六代目。
四代高木治良兵衛は明治44年生、三代高木治良兵衛の長男で、彫金を中野美海、日本画を三宅鳳白に師事、金工は三代高木治良兵衛に師事。昭和26年、四代治良兵衛を襲名。平成8年歿。今までの打肌釜肌にくわえ、挽肌釜の上に水墨画のタッチで地紋を表現する京釜を製作昭和60年京都府知事より老舗表彰を受けています。
唐銅の道具がびしっ!と揃っている中で、献炭(献茶の際の炭手前のことのようです)が始まりました。
じっと目を凝らすと、火箸が前にある!!!!
面白いのは、火箸を抜くときに柄杓を前に倒し、火箸を戻す際に柄杓を後ろに掛けたことです。
このあたりは、流儀によって違うものなんだなぁ~と。
火箸も、釻も四代高木治良兵衛の作。
火箸は遠州好針形平打、とあり、美津火箸の穴を大きくしたような、平たく角みを帯びた火箸です。
釻も遠州好で十六大角豆(ジュウロクササゲ)とありますが……
確かにこんな感じ!
こんな釻もあるんですね!
釜敷は、懐紙のようにみえましたが、好紙(よしがみ)と会記にあります。
後の席で知るのですが、小堀遠州流さんは、懐紙を広げて使う習慣がある(お菓子とか)のです。ですが、これは「たしかに!」と思うほど合理的な考えからのものなんです。
いやぁ、勉強になることだらけで、その上、宗峯先生のお点前の綺麗なこと、綺麗なこと。
凛々しい姿に母と二人でうっとりしてました。
終わりまして、受付に点心を取りにいき、柿傳さんの点心に舌鼓を打ちました。
めちゃくちゃおいしい!
魚介類苦手な私でも、平然と食べられるほど美味しい味付け。
蟹と海老さえなければ、また、食べたいですな~。
