令和6年3月16日(令和六年二月七日)に、護国寺で行われた柳営茶会に行って来ました。

 

 宗歌先生をお誘いしたのですけれど、彼女は十年弱振りの参加。

 

 柳営会運営の方々(全員直参旗本または大名家の後裔の方)にご挨拶をしまして、受付を済ませます。

 

 今年は小堀遠州流さんと鎮信流さんが濃茶。となりますと、先に濃茶を回りたいですから、どちらにしますか?ということで、ここは宗圓宗匠を先にしましょう、となりました。

 

 牡丹の間に向かうと寄附として楓の間を使っているとのことで、そちらで整理券をいただきました。少し時間があったので、他の席の様子を伺いに行きますと、不昧軒が長蛇の列。

 

 これは無理と判断し、御家流さんのお席の様子を見に行きますと松平さんがいらっしゃいましたので、ご挨拶。

 

 微妙な時間だったため、後ほど……と楓の間に戻りました。

 

 楓の間には消息があり、板主水とあったので、おそらく板倉主水だろうなぁと思いつつ、読めるところだけ読むと、「扇子」と何回もあり「御上様」「かの山にさく花」などありました。

 

 天地の表具は遠州好らしい銀手で、前席の方も一緒に待っている中で読み解きを指南いただきました。

 

 板主水は「板倉主水かな?」で、ビンゴ!(笑)

 

 本席で宗峯先生に伺いましたが、解説書がついているそうですけれど、その解説書が「解読が必要」とのこと。分かります(笑)

 

 先日、雪枝くんが持ってきた棗の書付もようやく解読しましたが、読むのに苦労しましたもん!

 

 歌が書いてありまして、解説をお聞きしたところ、「公方様(家光)が扇子に花を載せた」ということから歌を読まれたという消息であるということらしいです。

 

 で、本席の軸が台徳院(秀忠公)の御真筆の和歌で、新古今和歌集の慈円大僧正の「いたづらに過にしことや嘆かれん 受け難き身の夕暮の空」を書かれたもの。

 

 本席と寄附で親子のつながりというのは、宗圓宗匠と宗峯若宗匠の繋がりのようで微笑ましい気がいたしました。

 

 席に入ると目につくのが立鼓形の花入に三人形が花留として使われていることでした。立鼓の胴に七宝透があることから、遠州好なんでしょうね~♪ 春蘭が右に寄せられていて風情のある装い。素敵! 何より三人形が光ります。

 

 香盒は八角。呉須ですが、コバルトが取れにくくなったころの物。大体、明代との伝承だそうですが、呉須が取れなくなったということは明代後期でしょうかね

 

 違い棚には遠州好の獅子香炉に楼閣山水蒔絵の硯箱。なんでも、向きにこだわりがあったそうで。

 

 正客に上がるよう案内されましたので、坐りましたら、宗峯若宗匠から「内田さまようこそおいでくださいました」どのご挨拶をいただき、「コイツ誰?」みたいな視線を発していらした方も、「知り合いなのね」という表情に(苦笑) 宗峯若宗匠、ありがとうございましたm(_ _)m

 

 正客のところからパッと目に入るのは釜。かなりの時代物だぞ?と見ておりましたら、なんと初代堀山城の作。形は真形で、地紋は野馬文。客付に二頭、勝手付に一頭描かれていました。

 

 が、この釜の見所は「釻付」。なんと「阿満面」。安摩面とも書きます。鬼面釻付の角のないものをこう呼ぶのですが、ふくれっ面をした女性の面のことです。

 

 

 元々中国では鬼面が狛犬と獅子、安摩面が開明獣で、どちらも門番なんですけれども、日本ではこれを鬼面と安摩面と呼んでいる訳です。

 

 炉椽は面取に七宝繋文が描かれた黒柿の炉椽で、これ明るい所で見たから分かりますが、暗い茶室で見たら、分からない程の黒さ。渋い!

 

 風炉先は桑かな?の縁に小の字の意匠があり、その両端が瓢になっています。身は大胆な金銀の三角形のような張物がしてあり、これを張るのはとても難しいのだそうです。

 

 棚物は遠州好の寄木棚、地板が桑で、柱が鉄刀木で、葉入四方透の立板は黒柿。いつもながら、いい棚です。ただ、分解できないので、収納に困ると宗峯若宗匠(笑) そりゃそうでしょうけど(笑)

 

 水指はパッと目には黄瀬戸にも見えるのですが、耳が星七宝。七宝の天地左右に丸い星が付いた七宝形の耳。珍しいことこの上なく、点前が終わってから引き出してくださったので、よく見せていただきましたら、口の脇に青が出ており「確かに古高取ですが、これを見ないと一見伊羅保なのか黄瀬戸なのかと悩みますね」と申し上げましたら頷いておいででした。

 

 茶盌は、高麗割高台。

 こざっぱりとした井戸形ですが高台が大きく、「割高台だー!」と見るなりウキウキしてしまいました。大好きなんですよ、割高台。器膚に花が沢山咲いていて、御本の源流なんだということがわかりますが、一箇所だけ、大きくて黄色の入ったところがあり、おそらくこれを有明の月か不知火にみたてて銘を有明にされたんだろうなぁ?と。

 

いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師

 

 という歌を思い浮かべた訳です。ちなみに、有明の月は「有明海の月」ではなく「夜が明けても、まだ空に有る(残っている)月」の意味ですから、満月を過ぎて新月を迎えるまでの月を意味します。

 

 つまり、旧暦の月の後半のことを言うのですね。

 

 ただし、この日は二月八日ですから、有明桜を取られたのかもしれません。これも有明と略しますから。有明桜は里桜の一種で、花は淡紅色で香りが強く、花弁の周縁部の色が濃いそうです。そう言われてみれば、茶盌のひときわ大きな花は五弁の桜にも見えますね。

 

 濃茶はねっとりとしつつもさらっとした中茶の雰囲気で、飲みやすく、大変美味しゅうございました。

 お茶名は蓬莱山。名古屋の松尾園さんのものだそうです。

 

 思わず「白湯を所望して全部飲み切りたくなります」と申し上げましたら、前に我が家にいらしたリヴィエラさんが「そちらのお流儀のやり方ですね」とこそっと。

 

 蓋置は唐銅の七宝文象嵌の四方。おそらく墨台でしょうとのこと。この手のものは文房四宝(筆・紙・硯・墨)にちなんで用いられる事が多いですが、茶道で飾られるのは主に「硯箱」「文箱」「硯屏」「墨台」「筆架」でしょうかね。

 

 茶入と茶杓は使われていたものと飾られていたものが違いまして、会記には

 

 茶入 古瀬戸肩衝 小堀権十郎政尹歌銘 雪の村消 挽屋内箱共

  うすくこき野辺の緑の若草にあとまでみゆる雪のむらぎえ(宮内卿)

                 藪内十一代竹窓紹智外箱

    仕覆 高台寺金襴 漢東

 茶杓 小堀和泉守宗実作 共筒 銘 腰替 阿部豊後守正武内箱 宗本文添

 

 とあります。

 

 使い茶入は瀬戸黒。使い茶杓は先代家元小堀宗通宗匠お手削りのもの。

 これはこれでいい茶入と茶杓でした。

 

 ただ、飾られていたものが凄すぎて、印象が霞むのでしょうが(普通は)、私はあの茶杓ほしい!と思った次第です。

 

 席が終わってから茶入を拝見したところ、古瀬戸【ふるせと】の特徴を確認しました。蓋には窼【す】が入っています。茶入は全体が茶褐色で、とこどころ薄く雪が消えていくように釉垂れが霞んでいるので、この歌を選ばれたのでしょう。村消えとは「むらになって消えたさま」のことで、詠まれた方は源師光の女【むすめ】、宮内卿です。新三十六歌仙の一人で、勅撰和歌集の『新古今和歌集』に多数の作品が掲載されるなど、宮内卿は歌の才能を高く評価されていましたが、和歌に熱中したあまり、体を壊し、二十歳で夭折したと言われています。

 

 建水は宗通好と会記にありますので、先代のお好み物なのかと、こちらは何度か拝見したことがあります。遠州流好みの意匠は【小】の字をデザインした【ー・ー】という透かしまたは七宝文で、どちらか片方または両方というものが多いです。

 

 今回は和歌が三つもあり、宗峯先生も大変だったかと思います。
 

 お菓子も美味しかったのですが(あまり覚えてないんですw)、それよりも古染付の段重がインパクト強すぎました!
 染付の段重は非常に重く、蓋もセットで運ぶには女性には厳しいですよねというお話をさせていただきました。

 

 隅から隅まで心配りの行き届いた道具組み、いやぁ、物語を拾うにはまだまだ勉強不足ですね。

 

 もっと精進せねば!と深く反省する次第。

 宗峯先生、ありがとうございました。

 

 席が終わりまして宗圓宗匠がお出ましだったのでご挨拶すると、まぁ、なんとお茶目な方なんでしょう。

 最初にお目にかかったときは威厳あふれる方という印象だったのですが、最近は気安くお声がけくださり、冗談をおっしゃられるので、本質はこちらなんでしょうねぇ。穏やかで優しいお方なのは存じ上げておりますし。

 

 来週も伺いますと、申し上げて、席を離れました。