茶道の目的はなんでしょう?

 

 習う目的としては色々有ると思いますが(それこそ個々の取り組み方による)、私は教える際に「点前に終始しない」ことを旨としています。

 

 茶道の教えというのは「日常を豊かにする」ことであると考えているからです。

 

 例えば所作。

 

 日常から美しくすることで、丁寧に道具を扱えるようになります。人から見ても美しいと思われるでしょうし、何より自分の意識が変わってきます。

 

 例えば普段遣いの道具たち。

 

 漆器や陶器というレパートリーが増えれば、食事などの彩りが豊かになり、生活が華やかになるでしょうし、何より家族の笑顔が増えるはずです。

 

 例えば礼儀作法、気遣い、もてなしの技。

 

 周りに与える印象や、きちんとしたことのできる人という評価が他人からされるということは、自分の誇りに繋がっていくはずです。

 

 偉くなるということではありませんが、立派な人というや、きちんとした人であり続けることはなかなか難しいことではありますけれども、大事なことであると思います。

 

 名古屋の紅雲庵さんが「稽古の意味」について記事を書かれていましたが、客稽古は入り口だと思います。

 

 客として出向き、扱いの知らない道具が出てきたとき、どうしましょうか。

 見様見真似で扱って、大丈夫ですか?

 

 唐物(中国産や海外産という意味ではありません)が出されたとき、常の道具とは扱いが違うのに、その作法を知らなければどうしますか?

 

 教授がある意味「茶人の始まり」と考える当流は、ある意味理に適っているのだなぁ、と思うところです。