茶道における名残の意味を考える前に、名残という言葉の語源に当たってみたいと思います。


 調べるとすぐに分かるのですが、実は「名残」は宛字で、名前が残るという意味からの派生語ではありません。


 もともとは「余波」と当てていたそうで、波が打ち寄せたあとに残る海水や海藻なども意味する言葉で、「波残り(なみのこり)」が短くなって出来た言葉です。


 このことから転じて余韻や影響など、何かの事柄のあとに残るものを「なごり」と言うようになりました。


「なごり」が波によって残ったものではなく、ある事柄が過ぎたあとに残る余韻や影響を表すようになったのは、『万葉集』にも見られることから、奈良時代以前のことと言われています。


 平安時代になると、人との別れを惜しむ意味で「名残惜し」といった形容詞として使われるようになりました。


 ここから、茶道の「名残」が生まれます。


 では、何を名残惜しんだのか?という話ですが、これも調べればすぐ分かりますし、茶道なのですから当たり前ですが、「茶」です。


 抹茶は、毎年炉開きで口切りをして、その年に摘まれた新茶を熟成させて出します。


 そのお茶がもう終わる頃が名残の時期なのです。


 新たな茶を口切るまでの僅かな期間、一年飲み続けてきて少なくなった茶に名残惜しさを感じる(惜しい訳では無く)――ということになりますね。


 この時期は中置と呼ばれる点前が多くのお流儀でも盛んで、長板や台子、大板、小板などでも行われています。特徴的なのは裏千家で、五行棚という中置用の棚物があるんですね。


 表千家は天然忌と称して如心斎の忌日に竹台子の中置を鳳凰風炉でなさるため、名残の時期に台子される方は少ないようですが、大板の中置がないとか。


 中置きの特徴は細水指を使うことですが、当流では風炉には台子大や長板大を使いますから、細水指を棚から下ろすことはありません。


 それ故、中置では台子や長板以外で、磁器や交趾を使いません。竹台子大が手に入ったら、その内披露したいものですね。


 その前に水屋を増築しないといけませんから、我慢、我慢。