前々から欲しがっていた琉球風炉ですが、ようやく入手しました。
琉球風炉は、北向道陳が好んだ風炉で、立休庵好として大西美術館に北向道陳所持の物が所蔵されています。
また、表千家の覚々斎が唐銅琉球風炉に田口釜を添えており(覚々斎好)、惺斎が刷毛目釜を添えて、掛子の透かしをツボツボにしたそうなので、これは惺斎好写ということになります。
呂尚目平は中田呂尚ともいい、昭和七年生、大阪出身の釜師で、横浜在住と聞きますが、ご存命なら御年91歳かと存じます。釜師 根来実三氏に師事されていたそうです。
根来実三(ねごろ じつぞう、1888-1975年)は大正から昭和時代にかけて活躍した釜師で、1888年11月21日に和歌山生。根来家は鉄砲撃ちの紀州藩の武士であったが、明治維新で没落。元家老の伝手で大阪の釜屋を紹介してもらい、茶の湯釜の美しさに惹かれ、裏千家御用釜師の4代佐々木彦兵衛に弟子入りし、鋳造を学んだそうです。実三の妻の祖母が釜屋の娘であった事から釜屋をはじめました。
その後の1925年に上京。上京後は帝室技芸員と東京美術学校の教授であった香取秀真に師事します。金工の技術と歴史を学び、1931年遠州流茶道家元職方釜師となり、茶釜制作に尽力しました。1946年の日展では「四方釜」が特選を受賞しています。1973年には重要無形文化財に指定され、勲四等瑞宝章を受章。茶の湯釜の肌打ちの名人として知られているそうです。
1975年4月30日に死去。享年86。
息子・茂昌や、孫・琢三も実三の姿を見て育ち、ともに釜師としての道を歩み、活躍されています。
根来実三(ねごろ じつぞう、1888-1975年)は大正から昭和時代にかけて活躍した釜師で、1888年11月21日に和歌山生。根来家は鉄砲撃ちの紀州藩の武士であったが、明治維新で没落。元家老の伝手で大阪の釜屋を紹介してもらい、茶の湯釜の美しさに惹かれ、裏千家御用釜師の4代佐々木彦兵衛に弟子入りし、鋳造を学んだそうです。実三の妻の祖母が釜屋の娘であった事から釜屋をはじめました。
その後の1925年に上京。上京後は帝室技芸員と東京美術学校の教授であった香取秀真に師事します。金工の技術と歴史を学び、1931年遠州流茶道家元職方釜師となり、茶釜制作に尽力しました。1946年の日展では「四方釜」が特選を受賞しています。1973年には重要無形文化財に指定され、勲四等瑞宝章を受章。茶の湯釜の肌打ちの名人として知られているそうです。
1975年4月30日に死去。享年86。
息子・茂昌や、孫・琢三も実三の姿を見て育ち、ともに釜師としての道を歩み、活躍されています。
佐々木彦兵衛(裏千家)から遠州流の職方になるという経歴が面白いですね。その弟子が表千家の写しを作っているというのもまた面白いですが。
さあ、初使いはいつになりますやら?
