「赦免帰堺」というのは千道安(当時はまだ紹安ですが)が、秀吉の勘気が解け、蟄居が赦されたことにより、堺へ帰ることができたという意味です。
色々史学的な見地や、当時の常識的なことから推察するとどうしてもこうであったろうということと、利休の茶の湯と道安の茶の湯の違いなどから、道安が何を考えていたのか?ということから、利休の物語を道安が渡邊立安に語る――という形にするためのお話です。
あくまでこれは、「私はこう考える」という一つの答えでしかなく、他にも色々と考えのある方も多いと思いますが、物語の出だしとしては、いい冒頭を描けたと思います。
この話にだけ、和歌がないのは、序章だからで、第二章以降の各話にも和歌は一首ずつつけていこうと思います(時々、話中に和歌が登場する場合もあります)。
現在は第二章のプロットを練り直している最中で、第十一服を書き出しています。
別作の人気が出て、数寄の長者よりも要望が高くならない限りは、数寄の長者を優先して参ります。