茶掛けの最も有名な文言としては、和敬清寂と一期一会、それと日日是好日が挙げられるでしょうか。


 日日是好日はまさしく禅語なのですが、一期一会と和敬清寂は正確には禅語ではありません。


 一期一会は山上宗二の著した『山上宗二記』(1588)に「一期に一度の会」と書かれており、こちらは禅語ではないのですが、禅語として語られることが多いですね。


 和敬清寂も、大心義統の著した『茶祖伝』(1730)に村田珠光が足利義政から茶の精神を尋ねられたとされる架空のお話の返答で、


「一味清淨、法喜禪悅。趙州如此、陸羽未曾至此。人入茶室、外卻人我之相、内蓄柔和之德、致相交之間、謹兮敬兮清兮寂兮、卒以及天下太平。」


 としたものを利休が謹を和に改めたと江戸中期から広まったもので、あくまで後世の者が利休の侘び茶の概念に当てはめたものであり、利休が唱えたものではないことに注意が必要です。


 これらは同時代の人たちが様々な解釈を試みる中でたどり着いた一つの答えであると認識して、それが全てだと思わぬよう続けることこそ大切だと考えます。


 茶掛けは場の主題を端的に伝える物です。


 そこに侘茶の精神性を強調する物を配するというのは、私は些か客に強いてしまうのではないか?と考えなくもないですね。


 なので、私はこの「一期一会」と「和敬清寂」は稽古で掛けるのが良いと思っています。勿論、茶席で掛けてはいけないものではありませんが。