先日、Twitterで
曲斎(月桑庵道舜/碧夢庵宗地@都流)@darkpent
私がこういう言動なのは、慈光院の尾関和尚の影響が強い。 「家元はんのお茶を目指してはるんでっか?利休はんのお茶を目指してはるんでっか?」 この言葉は頭をハンマーで殴られたような衝撃がありました。 以後、古法の再現を頑張っています。
2022年07月09日 21:08
こういうTweetをしまして、Facebookの方にリンクしましたら、少し反応がありました。
それを見ていて私は私の目指すところを言葉にしてきてなかったなぁと感じた訳です。
どうも、多くの人が「侘茶」をしたがっているように思えました。
されど、私は、侘茶がしたい訳ではありません。
侘茶は、珠光が作り、宗珠が完成させ、利休が中興させた茶風の一つに過ぎないからです。
「他人と違うことをせよ」が頭の中にチラつきます。
といっても、規矩から外れたり、規矩を破るのは違うと私は考えています。
私の目指す茶風はどちらかというと、古田織部や金森宗和に近く、小堀遠州まで行かない……そして、絶対条件が「笑顔のある茶」です。
私はあのしーーーーんとした茶席が嫌いなんです。あれで笑顔になれる人がいたら、お目に掛かって、爪の垢を煎じて飲みますわ(笑)
頓知や叡智といった教養も必要としながら、「そうか!そういうことね!上手いこと考えたなぁ〜」と笑顔になってもらえて、面白かったと笑顔でお客様が帰ってくださるような茶席。それが目指す茶席です。
しかめっ面で、煩く指導なんてのは、稽古だけでいいんです(稽古は厳しく!)。
つまり、何がいいたいかといいますと……
私の目指すところは「私だけの茶風」であるということです。既存の茶に縛られず、それでいて規矩をきちんと守る茶。
まだまだ、他人の褌(●●好みとか)を借りないと、組み合わせられないほどの実力しかありませんが、いつか、自分の好み物だけで、席を開けるようになりたいと、好み物を温めておきます。