松尾宗二【まつお そうじ】
天正七年(1579)〜明暦四年(1658)五月廿四日
江戸前期の茶人。物斎、楽只軒(らくしけん)。千宗旦(せんのそうたん)の弟子という。
松尾家は京の呉服商「墨屋」で武野紹鷗の弟子であった茶人辻玄哉の子・等政五助が母方の姓を名乗ったのに始まる。辻玄哉は、武野紹鷗一の弟子と言われ(『山上宗二記』)、利休に小壺大事(唐物茶入の取扱のこと)と台子を相伝した(『茶話指月集』)という。
五助の子が宗二。熱烈な法華信者で、徳川家康の弾圧で対馬配流となった日奥は一族辻藤兵衛の子であり、その赦免の際には宗二も弟子日習に従い渡島している。
宗旦について茶を修め、ほぼ同年齢ながら四天王の一人とされることもある。宗旦より楽只三種(扁額「楽只軒」の本紙、一重切花入と茶杓、ともに銘楽只)を与えられた。
この人を取り上げたのは、今度、月桑庵に届く茶杓が彼の写だからです。町祖八種の三振り目。愉しみなことです。お披露目は来年3月になります!