よく言われる和敬清寂の和は「仲良くする」ということではなく、「調和する」ということです。

 

 調和するというのは、表面上和やかにするというのとも違い、なあなあで済ませることとも違います。

 

 

 いわゆる「以和為貴(和を以て貴しと為す)」です。

 

 一に曰く、和を以て貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ。

 現代語訳:第一条、うちとけて相互になごみあうことをもっとも大切にし、背き逆らわないことを規範としなさい。

 

 人皆党あり、またさとれる者少なし。

 現代語訳:人は誰しも自分に気の合う仲間を作りたがる。そして同時に、ものごとの道理を良くわかっている人は少ない。

 

 ここを以て、あるいは君父にしたがわず、また隣里に違う。

 現代語訳:そのために、リーダーや親に従わず、隣り近所で争いを起こすことになってしまう。

 

 しかれども、上和らぎ下睦びて、事を論ずるにかなうときは、則ち事理自から適ず。

 現代語訳:だが、目上の者は穏やかにし、目下の者も睦まじく交わり、わだかまりを除いて問題を話し合えるときは、自然に事実と真理が一致する。

 

 何事か成らざらん。
 現代語訳:そうすれば実現できないことは何もない。

 

 他人を色眼鏡で見ず、真摯に議論することは真理と事実を一致させるにおいて大事な過程です。

 

 ここを省いて和することなどできはしないと私は強く訴えるものであります。