波多野三兄弟の父、波多野清秀は、嘉吉三年(1443)生まれで、永正元年(1504)七月廿四日歿。

 

 十八歳で細川勝元に使え、その命で母方の氏である波多野を名乗ります。応仁の乱の戦功で、政元より丹波国多紀郡を与えられました。

 

 文明十七年(1485)には、丹波守護代・上原元秀の麾下で、多紀郡小守護代として活動しています。

 

 波多野元清は生年不詳で、享禄三年(1530)歿。最初、仙甫寿登の弟子となり名を寿浩、号を養賢と名乗りましたが、15歳の時に波多野氏を継ぐことになり還俗しました。

 

 父清秀の没後から活動が見られることから、兄がおり、早世したことで還俗したと考えられます。時期は不明ですが、年齢からいって、文明年間の生まれであると考えられます。推論としては、応仁の乱の終熄した文明九年(1477)に戦功で多紀郡を与えられたあと生まれたと考えられ、文明十年(1478)に兄が、その後文明十一年(1479)前後に元清が生まれたのではないでしょうか。

 

 文明十一年(1479)生とすれば、没した享禄三年(1530)では五十二歳。高齢ではありませんが、病歿とすれば、それほど違和感のない年齢ではないでしょうか。

 

 香西元盛も生年不詳で、大永六年(1526)七月十三日歿。

 おそらく三男であり、波多野元清の同母弟と考えられます(偏諱が主君からなので)。永正四年(1507)に香西元長の跡を細川高国の命で家督しているので、このときには元服していたと考えらます。

 生年は、文明年間であると推察され、文明十二年(1480)~文明十五年(1483)ごろではないかと。

 

 柳本賢治も生年不詳で、享禄三年(1530)六月廿九日歿。

 おそらく四男であり、異母弟であったと思われます。

 永正十七年(1520)に柳本長治の後継として家督します。

 

 このことから、明応年間(1492~1501)生ではないかと推察しています。

 

 こういう生年不詳はまだ推察しようがあるのですが、生年だけでなく、歿年も不詳となると非常に推察しにくくなるんですよね。

 

 活躍時期を大体二十代~三十代ぐらいで当たりをつけ、その父と子の生歿年と照らし合わせていくという地道な作業ですw