津田宗及は、堺の茶人で、天王寺屋の当主です。

 

 父は天王寺屋の当主・津田宗達。祖父は天王寺屋の津田宗柏とされています。

 津田宗及が活躍しはじめたのは永禄年間(1558~1570)で、生年は不詳。歿年は天正十九年(1591)四月廿日(6月11日)とされています。

 

 父の津田宗達は、文亀四年(1504)~永禄九年(1566)

 祖父の津田宗柏は文安元年(1444)~大永七年(1527)

 

 ここ不思議なんですが、津田宗達と津田宗柏の間は一世代ほどの開きがあり、私が書いている小説では宗伯という宗柏の誤記とされる人物がいたことにしています。

 

 父宗達は武野紹鴎から茶道を習っており、その父から茶道を教わりました。大徳寺住持の大林宗套に禅を学んで、天信の号を受けています。通称は助五郎といいます。

 

 永禄年間は石山本願寺の下間丹後と通じ、三好政康を頼りにしていましたが、今井宗久に説得され信長を支持しました。

 

 信長に茶頭として使え、今井宗久・田中宗易とともに天下三宗匠と呼ばれます。

 

 『宗及茶湯日記他会記(1565~1587)』や『宗及茶湯日記自会記(1565~1587)』などの記録を残し、父・宗達と子・宗凡が記したものと合わせて『天王寺屋会記』と呼ばれ、当時の武将たちの関係や事件などを知ることができる貴重な史料になっています。

 

 好み物として「城楼棚」と「洞棚」が知られ、ヤフオクに出ていたものを弟子に購入させたことがあります(笑)

 

 明智光秀とも親交があり、黒田如水とも親交があったようです。

 

 茶杓が残されているようで、銘を「五祖」と「六祖」という二振りだとか(本物かどうかはちょっと分かりません)。

 

 2017年に宗及自筆の信長の茶会記が発見され、「餡つけ鱒」という珍しい料理が出されたことが記されていたことが古田織部美術館が発表しています。

 

 

 いずれ、当庵に弟子の棚を持ってきてもらって、点前を披露させたいものですねー♪