私は現状の茶道界に強い不満を持っています。

 

 それは「プロがいない」ということです。

 これは「茶道家」ではなく、茶人としてのプロがいないということ。

 

 茶道家というのは「茶道を教えるプロ」でして、「表現者としてのプロ」ではないのですね。

 

 何を言っているんだ?茶道はお金を稼ぐものじゃない!という声が聞こえてきそうなんですが、でしたら、どうやって稼ぐのかお聞きしてもよろしいでしょうか。

 

 戦国末期から、茶頭として武家に使えて禄をもらって使えていた家が有ったわけで、そもそも千家も「職業茶人」なんですよ。

 

 それが、ビジネスモデルとして転換できなかった。

 

 茶道が習い事の主流であった時代や、人口が増えている時代はそれでよかったのですが、これからの日本は人口は急激に減り、そもそも娯楽の多様化によって、茶道を選択する人は先細りです。

 

 現実600万人もいた茶道人口は現在200万人前後と言われていますが、私の計算だと130万人を切っていると思われます。

 

 実に四分の一以下になっているんです。

 

 コレに対して危機感を覚えている人があまりにも少ない。

 

 この現状を打破するためには「職業茶人」を生み出すしかないと私は考えています。それも「カリスマ的な一人の活動」ではなく、「プロ茶人の業界を作る必要がある」ということです。

 

 プロ茶人って何よ?といいますと……

 

点前をしてお金を稼ぐ人

 

 です。

 

 私は、今すぐではないにせよ、これを目指して動いていこうと決意しました。

 

 プロ茶人は「茶道家ではない」ことが求められます。

 

 これは、茶道を支える人口を生み出すものですから、家元制度の真似事などをして、家元制度を脅かしてはいけません。ですから、もし教えるのであればそれは「流儀の先生となって教える」ことが必要です。

 

 プロ茶人は客に作法を求めません。

 もてなす側は厳格な作法を守ります。

 

 しかし、客は点前を見るだけ(もちろんお茶は飲めますし、お菓子も食べられます。懐石も召し上がっていただきます)で、小うるさい作法などはなく、自由に喋っていい。質問をしてもいい。客同士でおしゃべりしながら食事をしながら、点前をみることができるようにしてもいいです。

 

 つまり、映画を観るように、歌舞伎を観るように、能楽を観るように、点前を見てもらおうということです。

 

 これを「茶の湯スペクタクル」と私は呼ぼうと思います。

 

 そもそも、茶道の根源から見ていけば、実は「裏で点てて出していたものを、亭主が客の前で点前を見せることで式法化してできた」のが茶道です。

 

 つまり、元々ショー的要素を持っています。

 

 唐や宋代には、陰や部屋の脇で点てて出していたのですし、禅寺では別の部屋で点てて、客の前に運んでいた訳です。大名家でもそうしていました。

 

 それが、義教公の時代に茶湯御政道が始まり、点前を見せるようになって、義政公の時代に式法が定められ、現在の台子点前の原型ができたのです。

 

 そもそもがエンターテイメントなんですよ。

 

 だからこそ、現代で、堂々とエンターテイメントに名乗りを挙げましょうよ。

 

 そして、茶道ではなく「茶の湯」を「気軽に行ける場所」にして、「娯楽としての選択肢の一つ」に入れてもらい、そこから茶道へつなげましょうよ。

 

 プロ茶人は教授は持ってないと駄目だと思います。

 

 そこまでは各流派で育てていただきたいし、自ら育ってほしい。

 プロ茶人は流儀の弟子はとっても、プロの弟子は取らない。それこそが、各流派の家元に対する敬意の払い方かと思います。

 

 添釜も、呈茶も、請け負うのがプロ茶人。

 道具の持ち出しがあるのか、無いのかでも金額は変わるでしょう。

 

 クライアントの要望に合わせた点前をするのがプロです。

 だから江戸間でもやります。

 

 自分が主催する会ならやりませんけどw<江戸間

 

 茶道と茶の湯を切り離して、茶の湯は大衆化しましょうよ。

 娯楽として消費されていいじゃないですか。

 

 ここ十年ではなく、百年生き残るために、プロ茶人生み出していきませんか?