敬老の日に、母を伴って茶友のお店、横浜にある串焼き『てっぽう』さんに伺いました。

 

 絶品な串焼きコースを堪能し、やはり茶道をする者同士、茶道談義に花が咲きますw

 で、面白いお話を聞きました。
 帛紗の付け方は利休時代自由だった……という話が伝わっているそうで。

 

 少庵が左利きだったので、千家は左につけるようになったと。

 

 少庵の話は私も聞いたことがあります。

 

 ただ、武家茶に改めるときに「武家茶は刀を指すところを避けて右にした』という話も聞いていて

どっちだろう?と思って調べたら木津宗詮宗匠が既に書かれていましたね(笑)

 

https://t.co/lGLu4LyN5O

 

 結論として左右の違いは身分の違いでもなく、侘は隠すものということから宗旦が左につけたことが「流行の要因」ということのようで、茶友のいうように「左右どちらもあった」のでしょうね。

 

 ちなみに、茶友が見聞した中には真ん中に垂らす流派もあるのだとか!←かなり驚きました

 

 そして利休以前は「懐中より出した」というのが、もう1つヒントに。

 

 紹鴎の時代には懐中や袂から出していたそうで、袂から出すのも右左の決まりはなかったようです。紹鴎が白帛紗を袂から、懐中から色帛紗を出している話があるそうです。

 

 この話を知ると、師匠が「腰に提げるの忘れてたら懐中から出したんでいいのよ」というのと奥秘において懐中するのとが自然と重なります。

 

 また、短冊箪笥の抽斗に小帛紗と帛紗を仕舞っておいてする点前が当流の古法の源泉があったのだと思うのは考えすぎですかねぇ(笑)

 

 どちらにせよ、右と定めた武家茶、左と定めた千家茶の違いはありますが、この意味は「侘びの左」「書院の右」な気もします。

 

 千家が左に固定したのは宗旦からということを考え合わせると、利休の定めたのは、もしかすると小間では左、書院や広間では右ということだったのかも?なんて想像します。

 

 浮世絵には、帯の下線に帛紗を付けているものがあるそうですが、それ以前に、え?どうやってつけてるの???という感じがします(笑)

 

 やはり茶友との茶道談義は愉しいですね^^