茶道は合理の塊です。
まずはここが理解できているという前提でお話をいたします。
茶道はその所作の一つ一つ、道具の扱い方などに全て理由があり、一つとして無駄なものはありません。
道具組みにも決まりがあります。
それを規矩といいますが、これは破っていいものではありません。破れば違和感を他人に抱かせるものとなるからです。
また、道具組みには定石(定番の組み合わせ方)があり、これは規矩を学ぶ上で軸となるものです。
宗匠方がやっている組み合わせや、炉開きの三部(伊部・織部・ふくべ)、正月の嶋台茶盌など多くの定石は先人たちが規矩の中でやってきた遊びです。
つまり、茶道はルール(規矩)さえ合っていればどんな組み合わせをしても自由なんです。勿論、そこには上手い下手は出てきますが、規矩の範囲内なら大きく外すことはないと言えます。
そして物語はもっと自由です。
例えば、霉雨(梅雨)明け頃に桑小卓に阿蘭陀の莨葉文を用いるのは、「旬である桑の新芽の表現」と考えてみたり(実は霉雨明けに桑の新芽の天麩羅を食べる地域があったりします)すれば、「その道具を使う理由」がはっきりします。
規矩とは「こうでなければならない」というもので、定石とは「理由が明確で取り合わせやすい」というものです。
例えば、口の小さな釜に小口の柄杓を用いるのは定石ですが、風炉に身削ぎの柄杓を使うのは規矩です(台子・長板で差通を使うのも規矩です/月形の炉風炉共用柄杓もあります)。
可笑しみを誘うためにあえて口の小さな釜に大口の柄杓を使うのは、遊びとなります。この遊びは「規矩と定石がわかっている人を招くときにするもの」とされていて、「心得のない者を招くときにはせぬもの」と言います。
規矩と定石というのは、日本の伝統的な文化に共通する考え方で、特に着物との共通点が多いと思います。
基準のない自由は無秩序といいます。
茶道は調和を尊びますから、規矩を無視することは駄目です。
やろうとしていることが規矩から外れることなのか定石を外すことなのかをよくよく見極めた上でご自由になさるとよいでしょう。
特に写真は間違ったものを載せないほうがよいでしょうね。載せるなら×をつけて載せるとか(笑)