茶道の国際化に必要なものは「パフォーマンス重視」だという論調があります。

 

 それって本当でしょうか?

 

 私にはどうしてもそうだとは思えないんですね。

 エンターテインメントとカルチャーを同一視してしまうという大きな勘違いをしているのではないでしょうか。

 

 エンターテインメントは娯楽。カルチャーは文化。

 

 ここ、大きく違うんですね。

 確かにエンターテインメント性を強くすると、ピラミッドの底辺を広げることができるようになるでしょう。しかし、その分カルチャー性は失われます。

 

 それは私が茶道を流布するにおいて「ハードルを設けるべき」であるという主張と似てきます。つまり「底辺を広げると頂点が低くなる」ということです。

 

 そもそも、茶道は日本で生まれ、日本だけで育まれ、日本人の感性で成立しています。

 これを国際化するにあたって何が一番の障碍でしょうか。

 

 それは、日本の伝統文化や芸能・武術に共通する考え方「知るものは言わず、言うものは知らず」というものです。

 

 国際的には「正しいことならば主張するのが義務」という考え方があります。

 近年の日本では残念なことに、正しいことすら多数決の原理のような考え方が根付いてしまいました。

 

 海外では「正しいことは正しい」「正しいからこそ間違いを指摘し、正しいことを主張する」という考え方ですので、多数決の原理ではなく「正しいことがきちんと継承される」傾向があります。このため「世界遺産」など「古いものをそのままに保存する」という考え方になるのですね。

 

 日本は建築物などを「古い技術を継承し素材や技術を新しくして補完する」という方法で継承していますので、言葉も大きく変遷するスタイルです。

 

 ところが、それでは「国際的な考え方と違う」のです。

 

 そして、現代。

 情報化社会になって「秘匿することは権威である」という時代が、カビの生えた古い概念であり、「最初に情報発信をするものが第一人者になる」という時代に変わっています。

 

 既に日本においても同様であり、そこに茶道を当てはめると「ズレ」が大きいことが分かります。

 

 茶道連盟などの団体はホームページも持たず、SNSすらアクセスしない状況です。


 一部の大きな流派は組織が大きいため若いものを取り込んでそうした時代に対応していますが、小さな流派などは、全くそういうことに関心がありません。

 

 このままですと三十年後には茶道の流派は百未満に減ってしまうのではないか?と考えています。

 

 茶道の発展のためには「情報発信」が鍵です。


 そして「秘匿することは権威である」「知るものは言わず、言うものは知らず」という考え方を改めることです。

 

 正しいことを正しいと大きな声で主張することが茶道の発展のためであると私は信じています。