伝統芸能や伝統文化というのは「正しく継承させる」ことが先生の善し悪しであって、「弟子にとって付き合いやすいかどうか」というのは「それぞれの弟子の尺度でみるもの」です。
先生に求められることは「正しい知識と正しい規矩を知っていること」と「知らないことを知らないと言えること」と「学ぶ心を失わずにいつも学んでいること」であると考えます。
教え方の善し悪しというのは、先生にとって二の次、三の次である……というと言いすぎですが、教え方が上手でも「間違った知識」に基づいていたり、「間違った規矩」を教えるのでは駄目ですよね。
つまり、先生になるということは「間違いが許されない立場になる」ということです。
それでも人間ですから間違うこともあります。
その時は「君子豹変」し、即座に訂正できるような心を持っていないといけません。
そして、自分の流派の中にだけ籠もらず、広く大局を見られるようにならないと、実は知識が深まりません。
これは「誰かを否定しているわけではない」のです。
先生というのは、役割であり、その人そのものではないので、その役割に相応しくなければ、先生をしない方がいいだけであり、その役割に相応しくあろうと努力している人を責めている訳ではありません。
所作や規矩の意義と意味と由来は、最初から説明すべきことではありません。
しかし、弟子が気づいて質問してきたときに「可否を答えられる自分でいなければならない」のです。
道というものは「自ら考えて答えを見つけ、師に問うて質す」ものです。
教えるときに「どんな質問や疑問が来るだろうか?」と考えておく必要があるということなんですね。
それが出来ない先生は「いい先生ではない」ということです。
それは人格や人当たりということとは別次元で。
そこを同列に語ると、おかしな話になりますので、きちんと区分けしてお話いただけますようお願いいたしますね。