松無古今色【まつはここんいろなし】

 当家にあります掛軸は六々斎という塗師さんが書かれたもので、この句は夢窓疎石が遺した禅語で五灯会元に出てくるものです。

 これを対句だと思っている人が多いのは、「松無古今色 竹有上下節」という引用が多いからなのですが、これは本来三句で成り立つものです。

松無古今色【まつはここんいろなし】
竹有上下節【たけはじょうげのふしあり】
梅自発清香【うめはおのずからひらいてせいこうあり】

 と書き下すそうですが、私は【うめはおのずからせいこうをひらく】と読んだほうがいいのでは?と思っています。

 松は古きも新しきもなく、ただいつも緑の色をたたえています。竹は上にも下にも節があり、その間隔はまちまちであっても、節には違いありません。梅は冬が終われば誰に命ぜられることもなく、自ずから咲いて清々しい香りを発して世を満たします。

 歳寒の三友と言われる松竹梅。

 古きも新しきもなく、区別があっても無くても平等であり、人は自らの人生を切り拓いていくものなのです。

 この内、松だけを取り上げると、私はそこに「過去に囚われてはならない、現在に囚われてはならない」という無常が籠められているように感じます。

 初夏にこの軸を使うのは、初風炉としての目出度さ、そして青山と言われるように新緑の清々しい季節であるとともに、一度として同じ面子、同じ道具で有ることのない茶席の「一期一会」が常に「温故知新」でなければならない決意と覚悟を持って臨むからです。

 一つの軸であっても、受け取り方は十人十色、千差万別。

 語るもよし、語らぬもよし。
 全ては「歩歩是道場」。