これは吉村楽入先生の添釜のご依頼を賜り、茶盌削りに招かれたときのものです。

 乙御前形の茶盌を男っぽく大胆に荒々しく削って見ました。

 本阿弥光悦の『乙御前』は法華宗開祖・日蓮の御書『乙御前御消息』から取られたものだと思われますが、それに因んで石川県の尼御前岬を朝日が照らす景色に見立てました。

 尼御前というのは、義経に縁のある地名で、義経が奥州に逃れる際、愛妾の一人であった尼御前が逃避行の足手まといになるのを嫌って身を投げたという伝説があり、これは能の『安宅』、歌舞伎の『勧進帳』の演目と重なる場面です。

 義経の奥州落ちは文治二年十一月〜翌年一月の間であり、十一月末頃に安宅に辿り着いていたと考えられます。

 高台は蛇の目にしました。