千利休はそれまで晴だった茶を褻(ケ)の茶にしたと言う話を聞いて、本当にそうだろうか?と思いました。。
 
 利休は「市中の山居、山中の市居」、すなわち「その場にない特別な場所=幽玄の世界」に誘っているのであって、霽(ハレ)と褻(ケ)の概念ではなかったと感じるからです。
 
 幽玄の世界を、霽(ハレ)にも褻(ケ)にももたらすことで、世界の奥行きを広げようとしたのであって、晴であった茶の湯を褻にしようとした訳ではないのではないか?考えられます。
 
 幽玄は
 
1 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。
 
2 趣きが深く、高尚で優美なこと。また、そのさま。
 
3 気品があり、優雅なこと。また、そのさま。
 
4 中古の「もののあはれ」を受け継ぐ、中世の文学・芸能の美的理念の一。言葉に表れない、深くほのかな余情の美をいう。
 
㋐和歌では、言外に感じられる王朝的な上品で優しくもの柔らかな情趣をいう。
 
㋑連歌では、艶でほのかな、言葉に表されない感覚的な境地をさしていう。後に、ものさびた閑寂な余情をもいうようになった。
 
㋒能楽では、初め美しく柔和な風情をさしていったが、後、静寂で枯淡な風情をもいうようになった。
 
〈出典:デジタル大辞泉(小学館)〉
 
 ですから、門や扉という形ではなく、位相変化(空間そのものが変化する)でなければならず、また、位相変化にしてもそこに別の世界が現出するのではなく、表層ではなく深層を表に引き出すような世界であるべきなんです。
 
 つまり、和敬清寂の寂が幽玄にあたる訳ですね。まさに侘び寂びの世界。
 
 茶の道は晴にもありて褻にもあれ
 枯淡閑寂 これぞ幽玄 道舜