私は、茶道において茶を点てるときも煉るときも、「無心になれ」と訓(おし)えるのは駄目だと思っています。
何故ならば「無心になれ」と言われた人は「無心になろうとしてしまう」ので、それでは「無心にはなれない」からです。
無心
これはとても難しいことなんです。
私の家は法華系の家でしたので、子供の頃から、仏壇の前で正座し、唱題・勤行をするのが普通でした。朝晩、真面目にやっていたのは小学生まででしたけど(笑)
この唱題・勤行をしているときというのは、邪念がありません。
ひたすら南無妙法蓮華経の七字を心に浮かべて唱えます。
あ、断っておきますが、ウチに入門したからって法華宗に改宗しろ!なんていいませんよ(笑)
当り前ですがw
この邪念がない状態は、ただひたすらにそのことに集中している最中にだけ起こります。
故に私は「ただひたすらに点てよ、ただひたすらに煉れ」と教えるのです。
どうしたら美味しくなるかなどということは、点前に入る前に済ませて置くべきことで、茶を前にしては「ただ点てる・ただ煉る」だけでいいんです。その正しい所作は何度も何度も稽古して自主練して身につけておけばいいのですから。
それで美味しく点てられない・煉れないのであれば、所作の意味を一つずつ把握し直すのが良い訳です。
それをキチンとできたならば、美味しく点てる・煉ることができるのです。
私は美味しい濃茶が好きです。
どうしたらもっと美味しく煉れるのか常に考えています。
湯温、湿度、気温によって微妙に加減をし、点てる・煉る。
こればかりは教えることが難しいです。
感じて、試行錯誤してもらうしかありません。
私も、美味しいと客に言ってもらえる茶を出し続けられる茶人を目指して、試行錯誤を繰り返しています。もっと、もっと、美味しくなれるはずだと思っています。