茶人というのは、一人前になったことを意味する言葉ではなくなりつつあるのかもしれません。
というのは、茶名を持っている(茶人である)にも関わらず、水屋が全く出来ない人がいるのだそうです。
これは、点前偏重になってしまった、茶道の在り方を見直さなければならない時期に来ているということではないでしょうか。
道具の扱い、道具の意味、道具組み、点前、歴史などの知識、和歌や漢詩・禅語の教養……だけでなく、茶人として最も基本的なことは「水屋仕事」です。
水屋仕事とは、準備と後片付け、そして、亭主の補佐です。
片付けがスムーズなように下げた茶盌を濯いでおくとか、次に何が必要で、どういう準備がいるか?など、点前のことも解っていないとできないものです。
このため、当流では多くの教室で「教授になるまで茶会の水屋を手伝わせない」という慣習がありました。が、私はこれで苦労したので、ウチの社中では、入門時点から自分で準備と片付けをさせています。
先生が用意して点前の稽古だけして、帰るというのでは、いつまで経っても一人前になどなれないからです。
この準備というのは、箱から出すところから。
水屋に持っていき、洗って、拭いて、設置して。
流石に棚物と風炉・釜だけは私が準備しておきますが。
片付けは、洗って干すところまで(しまうのは一週間後なので)です。
まだ、炭はできないので(水屋がなく、灰の収納場所がないため)、灰道具の水屋道具は揃っていませんが、水屋道具はできるだけ集めています。ないとやりにくいですからね。
そろそろ、宗靜先生の反対を押し切って、水屋甕(みずやがめ)でも買いましょうか。
掻器や水漉も揃えませんとね。
後四年の辛抱ですね!