毎年行われる春の『都民の茶会』。二日間開催で日曜日に行ってきました。来年は両日行きたいですね!
都民の茶会は護国寺のほぼすべての茶室を使った大きな茶会です。東京にある茶華道連盟がすべて参加する茶会で、我が板橋区を始め、足立区や荒川区、練馬区、世田谷区、渋谷区、目黒区、中野区、中央区、豊島区、杉並区、武蔵野市、西東京市など
のんびり出掛けましたら受付でなんと吉澤先生にお目にかかれました!
吉澤先生とは、宗徧流正伝庵当代家元のお姉様。宮崎美子似の美人で可愛くて愉しいお茶人さま♥
私が去年から勝手に憧れてる方でございます(^^)
お名刺をお渡しでき、お茶会のご案内もいただけることになりました。
そして、吉澤先生に「不昧軒いいですよ!」とお勧めいただき、そのまま不昧軒へ。
不昧軒は石州流成瀬派の福田佳雲先生が席主です。福田佳雲先生は、今年お姉さまの跡を継がれたそうです。「お元気なのよ♪」とは吉澤先生の言。確かにお元気な方です(^^) お年など微塵も感じさせない力強い道具組みでした!
石州流成瀬派というのは、野村派の分派だそうで、野村派というのはもともと遠州流だった野村家の茶道で、野村家は将軍家茶道組頭の家柄。
将軍家が遠州流から石州流に変わったことで、石州流に変わったそうです。その野村派が秋田藩佐竹家に伝わり、以後佐竹家は野村派。
明治維新後に御用商人だった菅原新五郎の高弟の成瀬峯雲が東京で伝授し始めた流派。成瀬派は林泉寺派、古閑堂派が分派しているそうですよ。ネットで調べられたのはここまで。
もし、またお目に掛かる機会がありましたら詳しくお聞きしたいです。
さてさて、お部屋の設えに話を戻しましょう。
不昧軒で待っておりますと、山田仙秀先生がいらっしゃいました! おおー!こんなところでお目にかかれるとは! お連れの方が沢山でしたが、お一方、私のブログを読んでくださっている方が居られ、お名刺をお渡しいたしました。
不昧軒は続き広間に板の間が付い手水屋が続きの間の裏側にある構造をしていて、人数を入れるために続きの間を開放し、板の間に椅子を据えられてました。私が席に入りましたらほぼ全部埋まってまして、母が正坐を長くできないので椅子を持ち歩いているので、迷わず椅子席へ。私たちの後ろにもまだ入る人が居られましたし。
板の間から点前座を見ますと、富士裾野釜に廬山かと思わせる染付皆具が長板に並んでいます。炉椽は花塗面金。どうもそこに蒔絵が施されているよう。
この道具立ては……勿論詳しい方なら心の眼で見ればわかりますね。灰形を浜辺に見立てている訳ですから、面金の蒔絵は青海波があるに違いないのです。三畳向こうにある面金蒔絵を見を凝らして見ますと、かすかに青海波の気配。もう一つ違う蒔絵も施されているようでしたが、間違いなく青海波! 染付遠山皆具の景色を静岡の山々に見立て、広がる富士の裾野が透木で炉に掛かり、ちらりと見える灰形……これはもう『駿河湾』の見立てです。
これほど見事にバッチリと幾つもの道具で組み合わせられた点前座は久しぶりに拝見いたしました。
一つ一つが物語を持って組み合わさる道具組みと違い、こうした組み合わせで一つの情景を描き出すのは相当な数寄者にしかできません。
正直、他の道具が全部覚えられないほど、しかも、道具の由来や作家など些末なことでしかないと断言されるかのような衝撃(勿論いいお道具だったのですが)。
お点前で独特な手と感じたのは「杓立を手前に寄せる」という所作。これは台子でも行われるとのこと。高麗台子の手として使えるのでは?と思いました。
柄杓の扱いは武家茶ならではの構え。これは石州流さんに限らないですが、格好いいですよねぇ〜♪
それと、仕舞いのときに茶杓の先(露)を帛紗に当てて左右に振って綺麗にしている所作が面白い!
席が終わりましてそそくさと炉椽を見に行きました。面金の蒔絵はやはり青海波と、もう一つはツボツボでした。青海波とツボツボのところが高蒔絵のように盛り上がっており、余程目を凝らさないと不注意な人では気が付かないほど。
富士裾野釜も見事に使い込まれた赤肌。
染付皆具も古染付か?と思わせる深みのある少し青味がかった白い器膚に鮮やかすぎない落ち着いた、少しくすみのある呉須。
一日の最初にこんな道具組みに出会うとは。会記も見たのに全然頭に入ってない状態です(爆)
これほどの衝撃は久しぶりです。
見事、見事過ぎる道具組み。私もこの境地を目指して精進いたします。