凌雲帳の全文が折角公開されているので、これをゆっくり読み解いていきたいと思います。まずは冒頭の「序」から

【序】

「余が老友白雪があるじ小西業精子は、相携へて茶道の上に相互研究の同人なり、君は表千家茶道の數寄者にして、家業にいそしむかたはら、能樂武道と合せて、幼時より此れが研纂をおこたらず、本より君は風雅の嗜み深くして、余が宗家の旨を受けて、丹陽なる君がもとに研究を初めてより、いつしか廿有餘年を經たり、此間君が物の上に熱心なる殆んど中絶する事なくして、稽古の折々に、備忘とて筆記せられたるもの、漸くにして積り、冊子を爲すに至りぬ。」

 

「さる程に昭和16辛巳の年の夏に至り、都富士の上に業精子はもとより、清水丁三子の助けを得て余と三人集ひ、趣き多き雨の音や、風の音を聞きつゝ、時に時鳥の音も入り交りて、此れが讀み合わせを催せし事は、今も幽かしき思ひ出の一つなり。」

 

「近時刊行の茶に關する書きもの多かる中に、然かも淺薄杜撰、語る所詳かならず、説く所肯綮に中らざるもの多きが如し、然かるに此著を見るに、排別せる道具に付きても其考證精確なり、君の如く家に佳器を多く傳へ、是れを絶へざる検討の対象としつゝ實地に點前して、事例潤澤に尋常一様の耳や目のみの學者流と大に其撰を異にするものあるは、蓋し彼の名器の検討はもとより、加之眞實茶道の點前によりて心の鍛錬を完成したるものにして始めて爲し得るものと思惟せらる、其特志篤學豈に嘆賞せざるべけんや。」

 

「余や君と研究を重ぬる事年ありて、君が茶道の上に於ける得力に關しては、特に知る所多き自信あるを以て、今茲に此れを稱へ且つ證して讀む人に深く信憑する所あらしめんとす、是れ余が不敏を顧ずして敢て冗言する所以なり。」

昭和16年師走下浣      

平安 半床庵にて 久田宗也識


 この識書にある久田宗也は無適斎と考えられます。無適斎は表千家十二代惺斎の後援を得て久田家を再興した人物で、明治17年生まれで、昭和21年に歿しています(享年六十三)。

「白雪があるじ小西業精子」の白雪とは小西酒造のブランドである日本酒『白雪』を指していて、その「あるじ小西業精子」は小西酒造の主、小西新右衛門のことです。

 業精と無適斎は茶道研鑽の仲間であり、さらに業精は表千家の数寄者でもあり、家業(造酒屋)をしながらも能楽や武道に性を出し、二十年以上をかけて研鑽した上に備忘として書きあらわわしたものが、積もり積もって冊子としてまとめることができた訳です。

 都富士とは比叡山のこと。

 業精子と清水丁三子と三人で茶道の研鑽をした論議の会が「幽かしき」とは面白い表現であり、幽世に行ってしまった業精との会を懐かしくはっきりと思い出しながらも、二度と実現しない一期一会の会として「幽かしき」と書かれたのでしょうか。

 

 その後は、その当時刊行されていた茶道関連の本が「淺薄杜撰、語る所詳かならず、説く所肯綮に中らざるもの多きが如し」と糾弾しています。

 それらの本に対して業精の著書は「排別せる道具に付きても其考證精確なり、君の如く家に佳器を多く傳へ、是れを絶へざる検討の対象としつゝ實地に點前して、事例潤澤に尋常一様の耳や目のみの學者流と大に其撰を異にするものあるは、蓋し彼の名器の検討はもとより、加之眞實茶道の點前によりて心の鍛錬を完成したるものにして始めて爲し得るものと思惟せらる、其特志篤學豈に嘆賞せざるべけんや」とベタ褒めです。

 排別というのは「ならべて分類する」という意味で用いられています。その考証も精確であり、家にはいい道具を伝えているし、またその道具に対して検討の対象としながら、実際に点前をしている訳です。学者のように耳や目のみの人たちとは全く異なるものである……と。

 さらにいえば、業精の名器の検討をはじめ、心の鍛錬を完成してはじめて成し得るものであって、特に志篤く学び、どうして感心して褒めないでいることができようか……とあります。

 まぁ、秀逸な本であると、無適斎が書き記しておられる訳です。

 

 これは、正直、南方録よりも読み解いていくのが大事なんじゃないか?と思ったりします。


 順次、解説させていただこうと思います。