休曰く「十年ヲ過ギズ、茶ノ本道廃ルベシ。廃ル時、世間ニテハ却ッテ、茶ノ湯繁盛ト思フベキ也」。

 これは利休(休は利休の意)の最晩年のころの言葉として残されています。

 

「(私の死後は)十年も経たない内に、お茶本来の心は忘れさられてしまうでしょう。そうなってかえって、世間ではお茶が流行するのだと思うべきです」

 

 これはどういうことか。

 つまり「形式主義」や「権威主義」に陥ることで、隆盛することでしょう……ということになります。

 

 これは、元禄の茶道ブームを指していたと思われますが、実はその予兆は秀吉時代に既に見えています。

 

 上辺だけ侘び茶を真似て、わざとらしい古色を帯びさせた道具などを利休は批難しています。

 

 これは存命した時代から既に「利休の猿真似が流行していた」ということなんです。

 

 利休の本来の心とは「もてなし」とかそういうことでなく、「他人と違うことをする」ということかと思います。規矩を守りつつも、新しい発想と自由な構想で、新しい美を見つけること。それこそが「茶の道」「数寄の道」の本来の心(根柢)なのではないでしょうか。

 私は他流の点前を学びます。

 何故ならば、自流にはない点前の規矩がそこにあるからです。

 そこにある規矩と自流の規矩を比べて、新しい発見があるからです。

 

 自流こそ最高である――そう思うのは自由ですが、全ての流派にすばらしいところがあります。それぞれの流派はそれぞれが正義であり、それぞれに正解です。その解釈の違いを見比べて自流の理解を深める、そして、自流の閉塞を打ち破り、新しい点前を見出し、生み出し、新たな規矩を作っていくことこそ、利休のいう「茶ノ本道」ではないでしょうか。