宗泰先生からご連絡を頂き「火箸の謎が解けた!」というのでお話をうかがいました。
宗泰先生曰く「火箸は暗器になりうるが故に、古法では抜いていたものが抜かなくなったのではないか?」ということでした。
茶壺の紐結びなどは、江戸時代に毒殺を避けるため、茶頭らは大名家ごとに秘伝の結び方を考案したり、茶室に刃物厳禁にしたりという仕来りになっていったそうですが(茶通箱の封印も同じ)、口切りの茶事や花所望の小刀を除けば、武器になりそうなものは、火箸しかない……とのこと。
なるほど、峨嵋刺や点穴針といった暗器(特に支那の武術にみられる)に形が似ており、刺突に用いることができなくはないと思えます。
こうしたことから「抜き差しをせず、組み替える所作が生まれた」のではないか?ということです。
では、そうであったとして、いつそれが生まれたのか?
献茶が最初に行われたのは、秀吉の宮中茶会です。
黄金の茶室に黄金台子、黄金皆具、黄金天目、天目台……といった黄金尽くしに緋毛氈敷きという秀吉好みの献茶であったと言われます。
これに前後して、利休が台子の式を秀吉に命じられて定めておりますから、この際に宮中での作法として「飾り火箸を組み替える」という規矩が生まれたとすればどうでしょう。
まだ、調べなければいけないことだらけですが、飾り火箸の真行草の扱いとして、「真・組み換え(前→後ろ)」「行・抜き取り(前)」「草・触らず(後ろ)」という形があったのか、または「本来飾りであるものであるのだから、使い取りであり使わぬときは後ろ飾り」であったのかもしれません。
益々検証をしていきたいところです。