亭主と正客の在り方として最も大事なことが「無知の知」です。
この「無知の知」とは哲学者ソクラテスの有名な言葉です。
「知らない」ということを「知る」ということは、自分の未熟さを顧みなければなりません。
子曰く「「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」
生というものも未熟者故知らないのに、死を知っているはずがない。そう孔子でさえ言っています。
また、
「子曰く、由よ、女にこれを知ることを誨えんか。これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。」
とソクラテスの無知の知と同様のことを孔子も言っています。
これらは、自分が未熟者であることを自覚し、秀でたる人に教えを乞うことを恥じてはならないということです。
「聞くは一時の恥、聞かぬは末代までの恥」
とは日本の慣用句ですが、まさにその通りなのです。
正客はあれこれ知っている人が就くものではありましょうが、即ち亭主よりも知っている人が就くことがあります。その際には、亭主は教えを乞うのが正しいと私は思います。
正客と亭主は対等ではありますが、亭主はもてなす側です。
正客に恥を掻かされたと思うようでは、亭主失格ではないでしょうか。
それよりも「詳しい正客に知らないことを教えてもらう」のが良いのでは?
当たり障りのない予定調和の茶会ばかりに慣れてしまうと、そういう真剣勝負を忘れてしまうようにも思いますが、もてなしとは「正客と亭主の真剣勝負」なんです。
真剣勝負ですから、負けたら素直に脱帽しましょう。
恥を掻かされたなんて思ったら、なお惨めです。
自分の勉強不足を棚に上げて、折角より詳しく知るチャンスだったものを受け取り損ねたのですから。
自分がぬるま湯に使って胡座をかいていたことを認め、精進の機会をもらったと、励みませんか?