千少庵が矢瀬(現在の八瀬)に湯治へ行いった利休を見舞って、宿に合った竹の垂木で削ったものを、利休が直したもの……と伝わります。

 

 筒は共筒で、山科宗甫(少庵の子、宗旦の弟)の添状がのこっているそうです。

 

 柚を送ったそうですが、残念ながら矢瀬の土産の柚なのか、家元邸にある柚なのかは不明だそうですよ。

 

 ただし、十日とあり、柚の季節とすると、旧暦九月十日と考えられ、この茶杓の写は、十月に使うのがよかろうか……と思われます。

 

 この時代までは、拭漆を茶杓にするものだそうで(宗旦以後はしなくなるそうです)、この拭漆の具合にもよるのだそうですが、いつ届くのか愉しみにしている茶杓だったりします♪

 

 写の銘は『八瀬』。

 矢瀬の現在地名が八瀬ですので、そのまま字が違うことで銘としたものです。

 

 現代によみがえる少庵と利休の義理とはいえども親子の繋がりを感じられる道具立てを考えたいものですね^^