茶杓の銘といえば「禅語」と思っている人が多いように思いますが、古田織部作の茶杓「宗句参」や、片桐石州作の茶杓「松右衛門佐様」のように、茶人が来てくれた記念や、進呈する人の名前が銘となっているものも数あります。
細川三斎の「けつりそこない」や、利休の「ゆがみ」、少庵の「さかひ」など、茶の湯発展期の銘は割合素直なものが多いように思います。
現在では家元や僧侶の銘がないとだめ!なんていう向きもありますが本当にそうでしょうか?
気安い人をあだ名で呼ぶように、数ある道具の中からその名前を選ぶというのは、ごく自然なことのように思います。ですから、自分で定めて使うのはよいことだと私は考えます。
ただ、銘を選ぶのは大事(オオゴト)です。
茶杓師が竹を選ぶのが難しいように、数ある言葉の中からぴったりの銘を選び抜くのは大変難しいことです。
これでもない、あれでもない。
思いついてもしっくりこない。
そのくせ、決まった瞬間、あたかも最初からその名前であったかのような安定感。不思議ですね。
銘には銘をつける理由がなくてはなりません。
思いつくまま、気の向くままの銘は浮ついていて、筆を入れる訳にはいかないのです。形や景色から、本歌の由来から、贈ってくれた人の贈る人のなにかに嘉して、銘を決めます。
たとえば、今度手元に来ます武祖八種の捌、片桐石州作「松右衛門佐様」写の銘は手古摺りました。
この松右衛門佐とは、松平筑前守黒田右衛門佐忠之のことです。黒田忠之は南方流を開いた立花実山の父、立花重種が仕えた福岡藩二代藩主です。黒田如水の孫にあたります。
黒田忠之は御坊ちゃまで、大変わがままで奔放な性格であったといわています。そして、黒田騒動の原因となるのです。
となると、この石州作の茶杓、どういう名をつけたらいいか悩みます。
しかし、やはり忠之に関連したいということで、「手綱」、「いさめ」「すなお」などを考えましたがしっくりこない。いろいろ考えあぐねた結果、幕末に黒田騒動を題材に描かれた通し狂言「しらぬひ譚(ものがたり)」に肖(あやか)って「不知火」とすることにしました。
するとどうでしょう。これ以外ありえない……というほど、すっきりしたのです。忠之の名を冠した茶杓の写が、黒田騒動を題材にした狂言のタイトルということですから、これ以上ピッタリな銘はないと思います。
このほか、千家八種の参、外異八種の参も色々悩んだものの、決まってしまえば他に考えられないというほど、しっくりきます。
銘を安易に選んでは、席中で語る愉しさがなくなります。誰に書いてもらうにせよ、誰に付けてもらうにせよ、銘には物語を添えましょう。