持たずして 代わり用ゆは 邪道なり
 見立て取り上げ 奥深きかな 道舜

 よく聞く言葉に「見立て」というものがあります。
 「これ建水に見立てて」などといわれています。
 
 私はこれにずっと違和感を覚えていたんですね。「それって代用品じゃないの?」と。そうしてきしてTwitterで即時ブロックされたこともあります(苦笑)
 
 以前にも「見立てというのは代用品ではない」と書いてきましたが、ようやく結論に至りました。
 
「代用は絶対に見立てではない」ということです。
 
 本来の用途が違うものを、興によって用いるのは「取り上げ」です。
 
 たとえば、香炉卓だった丸卓を小棚として利休は取り上げました。また、水屋使いだった曲建水(面桶)を点前道具として取り上げています。さらには竹を花入の材として取り上げてもいます。
 井戸茶盌や高麗茶盌といったそれまで見向きもされていなかったものも取り上げて行くわけです。

 また、大きい建水を水指に用いたり、花入れを細水指に用いたりするのもまた取り上げといえると思います(この場合は見立ても含まれていることがあるかと思いますが)。
 
 これらは、本来それ用の物を持っているけれども、「新たしい趣向として、それ用ではないものを別の用途として取り上げ」た訳です。
 
 ですから、一通りのものを持って初めてなせるものとなります。
 
 では「見立て」とほ何でしょうか?



 ここでいう見立ては「本来の意図や装飾の意図とは違うものにあてはめて使う理由にする」ということです。

 たとえば糸巻棚。碌々斎好みの青漆爪紅糸巻透の二重棚ですが、こちらはよく七夕に用いられます。織姫にちなんでのものですが、これは糸巻透の方にちなみます。

 また、青漆爪紅を「柳緑花紅」にみたてて春に用いることもあります。

 この青漆爪紅を「翡翠(かわせみ)」の雄の羽の緑と雌の嘴の紅にみたてて、6月に用いる(翡翠は6月の季語)のが見立てです。

 たとえば、遠山の稜線を「春霞む」切り立ちこめる山の姿としてとらえるとか、茶杓の景色を何かの情景や季節の風物詩などに見立てるなど、亭主の想像力によって無限の可能性を広げていきます。

 見立てと取り上げ、これですっきりしました。
 どちらにせよ「代用品」は邪道であるということです。